1日遅れましたが、昨日(2月23日)は「富士山の日」でした。
富士山をとり上げた芸術は、竹取物語のような物語、万葉集の山部赤人の和歌(富士の高嶺に雪は降りつむ)、芭蕉や一茶の俳句、横山大観の日本画などいろいろあります。
しかし、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵がやはり、富士山を語るうえでは欠かせません。江戸時代末期の浮世絵は、世界に流出して、ゴッホやモネなど多くの画家に影響を与えただけでなく、日本という国のイメージを富士山とともに広めていきました。

広重の不二三十六景の第1は、江戸飛鳥山(東京都北区)ではじまり、第36は安房鋸山(千葉県富津市)で終わります。結構、遠くから眺めていたのだとわかります。
富士山から一番遠いのは、第34の上総鹿楚山鳥居崎(千葉県君津市)です。もちろん、現在でも小高いところにのぼれば、君津市から富士山ははっきり見えるそうです。
富士山近くの有名観光地としては、第5の箱根山中湖、第10の信濃諏訪湖、第19の駿河薩岳嶺(静岡県清水区)、第31の駿河田子の浦などがあり、第33の甲斐夢山裏富士(山梨県甲府市)はその名の通り裏富士です。
富士山は美しい日本の象徴ですが、活火山でもあります。富士山の噴火が史料ではっきり残っているのは奈良時代末781年の噴火です。800年の延暦大噴火、864年の貞観大噴火を経て、富士山は平安時代の11世紀末頃まで何度も噴火します。
その後噴火しない時期があった富士山が再び噴火するのはおよそ400年後の1511年です。1707年の宝永大噴火で、関東一円に火山灰が降り注ぎ農業に甚大な被害がでます。これ以後の約300年間、富士山ははっきりした噴火しておらず、平穏な状態が続いています。