暴れん坊将軍を支えた大岡越前守忠相

テレビで松平健さん主演の「新暴れん坊将軍」がはじまりました。

 

初回放送は見ていないのですが、お正月のテレビで番組宣伝がたくさん流れていました。吉宗と対立する徳川宗春を「格付けチェック」で異彩を放っているGACKTさまが演じることも話題です。海音寺潮五郎の「吉宗と宗春」を読んだことがありますが、宗春役にGACKTさまははまり役かも知れません(前回の暴れん坊将軍では故中尾彬さんが宗春でした)。

 

大岡越前守
大岡越前守

さて、暴れん坊将軍に欠かせないのが江戸町奉行・大岡越前守忠相です。今回は勝村政信さん(前回は横内正さんなど)が演じます。

大岡忠相と吉宗の関係については、虚実交えて(まぁ、虚のほうが多いですが・・)いろいろなエピソードがあります。

 

大岡忠相は三河以来の徳川家直参旗本の家に三男として生まれます。

10歳のときに跡継ぎのいない同姓の大岡家に養子となります。

 

24歳のときに養父が亡くなり大岡家の当主となった忠相は26歳で書院番、28歳で徒頭(かちがしら)、31歳で使番、32歳で目付と順調に出世します。今でいうキャリア官僚のようなものです。

 

忠相の出世で注目は28歳から3年務めた徒頭です。これは、江戸城を守る徒士(かち・歩兵)のリーダーです、江戸城には20組の徒士組があり、それぞれ30人が配置されていました。

将軍を直接守る最強部隊で、そのリーダーには武芸に秀でた者がつきますから、大岡忠相は結構強いのです。

 

36歳で山田奉行(伊勢奉行・役高1000石)に就任した忠相は、当時は紀州藩主だった徳川吉宗との間に信頼関係を築いたようです。

忠相が紀州藩と伊勢神宮の境界争いを御三家の紀州藩に忖度せず公平に(紀州藩に不利なように)裁定したとか、紀州藩内の村と伊勢領内の村の鯨や材木をめぐる訴訟をやはり公正を重視して紀州藩に不利に裁いたといったことが、逆に当事者であった吉宗の信頼を増したというエピソードが残っています。(後世の作り話らしいですが)

 

忠相は40歳で江戸に戻り普請奉行(役高2000石)となります。同じ年に半年遅れて吉宗は八代将軍となるのですが、さっそく忠相を江戸町奉行(役高3000石)に就けます。これは、吉宗が裁量した最初の奉行人事です。

その後、忠相は60歳になるまで20年間も江戸町奉行を務めます。吉宗が忠相の卓越した行政手腕を頼りにしていたことは確かなようです。忠相の数多い功績も吉宗の後援があったこそだと思われます。

 

忠相は60歳で寺社奉行となり、吉宗が将軍を辞して大御所となった後、72歳で三河国西大平1万石を領して大名となりました。

吉宗が66歳で亡くなると、忠相もその後を追うように半年後に亡くなります。75歳でした。

 

現代風に書き換えると・・。大岡忠相は26歳で社長室員となった以降、28歳で本社セキュリティグループリーダー、31歳で関係会社監査グループリーダー、32歳で本社監査室リーダーを経て、36歳で三重支店長となる。三重支店長のとき、取締役中日本支社長と知り合う。

40歳で本社に戻りシステム管理課長となるが、半年後に中日本支社長が本社社長に就任したことで、新社長から総務部長に抜擢され、以後60歳まで社長を支えた。

60歳で取締役に就任し。社長が退任して会長となった後は、相談役として亡くなるまで会社に残った。といったところです。

 

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