今日の仕事先は、新幹線など鉄道車両の製造に関わる工場です。
今年(2024年)は東海道新幹線開業(1964年)から60周年でした。北陸新幹線が敦賀まで延伸されたのも大きなニュースです。来年は山陽新幹線が博多まで延伸した(1975年)から50周年になります。東海道・山陽新幹線開業以降は、東北新幹線(盛岡以南)と上越新幹線の開通が1982年、その後は九州新幹線、北陸新幹線、北海道新幹線と整備が続いています。
東海道・山陽新幹線が建設された背景として、戦前の弾丸列車建設計画があります。1939年(昭和14年)に、具体的な計画がスタートしており、1954年(昭和29年)の完成を目指していました。
弾丸列車計画は、太平洋戦争の激化によって1943年(昭和18年)に中断されました。中断までに買収した用地や建設していたトンネルが、後に東海道・山陽新幹線に使われました。
弾丸列車は、東京から下関までを従来の鉄路とは別に標準軌の新線(新幹線)で結んで、最高時速200㎞の弾丸列車によって9時間で結ぶという斬新な計画です。弾丸列車計画は、後に新幹線として結実して、当時の日本に非常に高い技術力があったことを証明しています。
弾丸列車では東京と下関の間に設置する駅は18駅です。神奈川県に横浜と小田原の2駅、静岡県に4駅、愛知県2駅、岐阜県・滋賀県は通過して、京都、大阪、兵庫県に2駅、岡山、広島県に2駅、山口県に徳山、小郡、下関の3駅です。概ね、現在のひかり号の停車駅と重なります。
弾丸列車は、下関からは関釜連絡船で朝鮮半島に渡り、鮮鉄~満鉄を経由して大連や北京など中国大陸の主要都市を結ぶ計画でした。歴史のifですが、全線開通するまで日本が頑張れていたら、世界はどうなっていたでしょうか?