昨日の続きですが、学問の神様・菅原道真にはわかっているだけで30人近くの子どもがおりました。
山口の天神さま、古熊神社は天満宮なので主祭神は菅原道真です。配祀神が道真の23番目の子である福部童子です。福部童子は道真が大宰府に左遷されたとき、まだ幼少であったことから京に残りました。10歳になった福部童子は道真を追って大宰府に下る途中の山口で亡くなりました。墓所があるのが、古熊神社です。
☞ 2024/02/18 天神様の細道。帰りはこわいが通りゃんせ
菅原道真は学問の神様です。幼少の頃から、和歌や漢文に秀でた才能を示し、その知識の質も量も他の追随を許しませんでした。政治的な能力にも長けており、天皇の信頼も篤く、政権の中枢を担います。
菅原道真というと、勉強ばかりしていたイメージがありますが、実はかなり違うようです。青年期には弓の名手としても知られ、文武両道の偉丈夫でもあったようです。なんたって子だくさんです。
道真の正式な結婚は30歳の時で嫡子の高視は31歳のときの子どもです。正室が産んだ子は2人、側室が産んだ子は1人だけで、その他の子どもは生母が不明です。
福部童子は道真40歳のとき生まれいる23番目の子どもということです。尚、道真が大宰府で失意のうちに没するのは52歳のときです。ちょっと、計算がおかしいですよね?
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