渋沢栄一の肖像があるので新一万円札は結婚式の祝儀にそぐわないという話があります。
渋沢栄一は女性、とりわけ美しい女性には敵わないと自認していました。栄一は最初の妻千代との間に2男3女、千代と死別後に再婚した兼子との間に7男2女をもうけています。嫡出子だけで14人です。正式な妾(妻妾同居)の大内くにとの間に数人(2人か3人)の子があり認知しています。
栄一にはこのほかにも妾がおり、認知していない子を含めると栄一の子は20人を超えて、一説には50人近くになるのではないかと言われます。但し、あまり確かな話ではなく、栄一の名声(迷声?)を利用した自称”栄一の子”が多かったようです。
渋沢栄一の財産の管理と方針の決定をするために、明治24年に栄一夫妻とその子、同族でつくられたのが渋沢同族会(後に渋沢同族株式会社になる)です。
栄一は明治42年に70歳で引退を表明しますが昭和6年に亡くなるまで、渋沢同族を通じた出資で新興企業の発展に貢献しました。
渋沢栄一が、家族や同族を大切にしたことも確かです。
この時代の英傑では、女性関係が盛んなことを当たり前のことで仕方ないと言う人もおります。まぁ、それはそれでもっともなんですが、具合が悪いことに、栄一の5歳年長に福沢諭吉がおります。旧一万円の方です。
諭吉は生涯妾も持たず、花柳界とも関わらず、愛妻の錦との間だけに4男5女がおります。諭吉は、夫婦の間に隠し事をせず、子育てにも積極的に関わったことで知られます。この時代では、当たり前ではない、品行方正で家庭的な人物でした。
新旧一万円札を比較すると、栄一はちょっと分が悪いです。
さて、渋沢一万円札が結婚式の祝儀にふさわしいか否かですが、誰の肖像でも一万円札の価値には違いがありません。実際は気にする人もいないでしょうね。
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