地域おこしには、地酒、地ビール、さらに地元産ワインや焼酎などアルコール飲料は欠かせないアイテムです。その際に頭を悩ませるのが、酒税です。
日本の酒税が、いつ、どこからはじまったのかははっきりしていないようです。鎌倉時代、室町時代からぼつぼつ酒や酒壺に運上金(税金)をかけることがおこなわれていたようです。
本格的な酒税は、応安4年(1371年)、室町幕府が酒造業者に対して酒壺一つ当たり200文を徴収したことにはじまります。100文を米1斗(15㎏)とすれば、米30㎏分となり、今の米価なら1~2万円です。室町時代の酒造業者がいくつの酒壺を所有していたのかわかりませんが、仮に100壺なら100~200万円ですね。
室町時代の酒造業というのは、たいそう儲かったそうです。京都では、多くの酒造業者が酒のの儲けを元手にして高利貸しを営んでおり、儲けがさらに大きな儲けをつくっていました。そこで、幕府としても税金を掛けて上前を得ようとしたわけです。
江戸時代になると、各藩が酒運上として酒の売上高の何割かを税として徴収するようになります。元禄10年(1697年)には江戸幕府として全国統一した酒運上を課すようになりました。
酒の販売価格の3割とか5割を酒運上(酒税)として納めるわけです。
明治になると酒税は国税の主役に躍り出ます。明治33年(1900年)には、国税のなかで最も大きいのが地租を抜いて酒税となります。
この年の国の歳入は3億円足らずでしたが、このうち酒税が5000万円を超えています。歳入の1/6以上を酒税が占めています。
その後、第二次世界大戦がはじまる前までは、地租と酒税は国税の1位を競い合い続けます。昭和10年の国の歳入は約22億円ですが、酒税収入は2億円強です。この時点でも、日本の歳入の1割近くが酒税です。
日本の酒飲みたちが、明治以降の日本の発展を支えていた?わけですね。
直近の令和6年度の税収でも酒税は1.2兆円にもなります。税収総額が70兆円ですから、約1.7%相当と、割合は縮んでいますが、それでも大したものです。