憲政史上最長となった第二次安倍晋三内閣で政務首相秘書を務めたのが今井尚哉です。
今井尚哉(たかや)は経産官僚ですが、叔父の今井善栄は通産省事務次官、善栄の弟の今井敬は新日鉄社長から経団連の会長です。また、山崎種二(ヤマタネ)・松崎昭雄(森永製菓社長・安倍昭恵の父)・を介して、安倍晋三とは遠縁にあたります。安倍政権の影の総理といわれることもあった実力者であり、秘書就任時の「安倍さんの臓物になる」という発言はマスコミで取り上げられました。
第一次安倍政権が短命に終わった原因の一つが、秘書の人選を誤ったことがあると思うのですが、詳細は割愛します。例の、統一教会の人です。
安倍晋三と同じく長期政権を担った小泉純一郎の政務秘書は、官邸のラスプーチンと評された飯島勲です。
飯島は、今井とは真逆で、長野県の貧しい家に生まれ、中学卒業後は旋盤工として働きながら定時制高校を卒業します。上京して短大の夜間部を卒業して務めた法律事務所で小泉純一郎と知り合います。
政務秘書としては、異例なマスコミ露出の多い人ですから、その後を含めて活躍の様子はよく知られるところです。
この他、有名な首相秘書といえば、中曽根康弘に仕え「中曽根の金庫番」「永田町最後の大物秘書」と呼ばれた上和田義彦。
田中角栄に仕え、ロッキード事件で角栄を守るために奔走した榎本敏夫(妻の榎本美恵子「ハチの一刺し」でも有名)。
政務秘書では唯一、大平正芳と宮澤喜一という二人の首相の秘書を務めた、宏池会の生き字引といわれた木村貢。
池田勇人の秘書で「池田内閣の影の官房長官」と呼ばれ、後には政治評論家として有名になった伊藤昌哉。伊藤は池田のスピーチライターですが、とりわけ浅沼社会党委員長刺殺事件において池田が衆議院でおこなった追悼演説は、池田をして「5億円か10億円の価値がある」と評価されました。
ちなみに、福田赳夫が福田康夫、福田康夫が福田達夫という、首相の子弟が政務首相秘書を務めた前例がありますが、岸田文雄前首相の岸田翔太郎氏登用はうまくいきませんでした。
石破茂首相の政務秘書は元防衛審議官の槌道明宏氏と女性初の政務首相秘書となった吉村麻央氏の二人です。石破政権が継続できるか否かは、この二人にかかっているとも言えます。
会社の経営でも同じことが言えます。よい実績を上げて、長く発展する会社には、社長の片側に有能な秘書がいるものです。逆に言えば、秘書の人選次第で発展するか衰退するかが決まるとも言えます。