日本ビクター株式会社ビデオ事業部が昭和61年(1986年)に発行した「VHSコミュニケーション」という本を改めて読んだというか眺めてました。
ちょっと懐古趣味ですね。今やホームビデオもビデオテープもVHSもベータも・・忘れられた歴史のなかの出来事です。ただ、個人的にはVHSが人生の道筋を決めた製品といえるので、ときどき振り返ってしまいます。
この本のなかにある、VHS開発マトリックスです。
私たちが関わっていたのは、右側のビデオの基本構成の上隅にある「テープ」に使われる磁性粉です。
新入社員当時、ビデオ産業の規模はハードで2兆円、ソフトを含めると8兆円といわれていたと記憶しています。日本のGDPが300兆円の時代ですから、大したものです。VHS開発をはじめた1975年には500億円だった日本ビクターの売上高は、この頃には6500億円を超えていました。私のいた会社でも磁性粉の売上は150億円近く(オーディオ用なども含みます)になっていました。
さて、VHS開発マトリックスで、1975年当時の開発者がどのように考えていたのか、その一端が垣間見えます。
テープの磁性粉:VHS開発をはじめた1975年には500億円だった日本ビクターの売上高は、この頃には6500億円を超えていました。 CoγFe2O3に4本の線がつながっています。4本の線をたどると「共通性」「公害」「音質」「記録密度向上を経由して生産性」に届きます。この4つの条件を満たすものがCoγFe2O3というわけです。その後のVHSテープでは、CoγFe2O3時代を経て、CoFe3O4が使われるように変わっていきます。
また、基本構成にはその後のVHSの命運を左右した肝心なモノが入っていなかったり、その後の開発過程で変わってしまったものもあります。開発の過程、アイディア出しというのは、意外に記録に残っていないものと思います。このマトリックスをよく調べてみると、有益な新しい発見があるかも知れません。
ところで、私のはじめての社外出張先は、日本ビクターの水戸工場でした。
VHSで大躍進した日本ビクターですが、1993年には早くも赤字転落します。その後、2007年の従業員の2割を超えるリストラを経て、2008年にケンウッドと経営統合して、法人としての日本ビクターは歴史を閉じました。この経緯はまた。