北里柴三郎の経歴詐称。結構結構

千円新紙幣の肖像は近代日本医学の礎を築いた北里柴三郎です。

 

北里柴三郎記念博物館の記事によると、柴三郎は1853年1月29日(嘉永5年12月20日)に現在の熊本県小国町で生まれて、1874年(明治7年)に東京医学校に入校します。1883年(明治16年)に東京医学校を卒業して、内務省衛生局に入局したとあります。

 

北里柴三郎
北里柴三郎

東京医学校に入学したのは、柴三郎が数え年で24歳のときのことです。

実は、当時の東京医学校に入学するには年齢が14~18歳でなければなりませんでした。暫定措置として20歳くらいまでは認められていたようですが、24歳の柴三郎には入校資格がありません。

 

そこで柴三郎は東京医学校に提出した履歴書には、安政3年12月20日生まれと4歳年齢を偽って合格しています。

その後も、柴三郎自身は生年月日をはっきりさせず、この生年月日と年齢で押し通したそうです。

 

この逆が森鴎外です。1862年2月17日(文久2年1月19日)に現在の島根県津和野町で生まれた鴎外は、柴三郎に1年先んじて1873年(明治6年)に東京医学校に入校します。

このとき鴎外は満11歳10か月、数え年で12歳でしたからやはり入校資格がありません。鴎外の方は2歳多く偽って入校しています。ちなみに、鴎外は1881年(明治14年)に東京医学校本科を8番で卒業しています。

実年齢では9歳若い鴎外(19歳)が、柴三郎より2年前に卒業しているわけです。

 

早熟の天才・鴎外と、晩成?の大器・柴三郎の対比はちょっと面白いですね。

その後の二人の大活躍は、それぞれ胸躍るものがあります。20年後の新紙幣には森鴎外が登場しているかも知れません。