大河ドラマ「光る君へ」で、藤原定子が夫の一条天皇と双六をするシーンがありました。
「光る君へ」では、双六が時々登場しているそうです。この時代の双六は「盤双六」といわれるもので、2人が対戦するボードゲームです。私はよく知りませんが、現在のバックギャモンの原型となったものだそうで、中国大陸から朝鮮半島を経て7世紀には日本に伝来していたということです。サイコロ(今のように立方体ではなく、六角柱)を使って、偶然性が高いことから賭博として広まったことから、度々禁止令が出たりもしています。
今、双六といって思い描くのは「絵双六」というものです。2人でも遊べますが、普通は数人で遊びます。
サイコロで出た目の数だけ進んでいって、早くゴールに着いた人の勝ちとなります。止まったマスにはいろいろな指示が書かれていて、それに従うのでゲーム性が高まります。
絵双六で日本で最古のものは「仏法双六」というものだそうで、まだ絵は描かれていません。僧が民衆に仏教の教えを説くためにつくられました。
絵が描かれた絵双六として古くからあるのが「浄土双六」です。西鶴の作品にでてくる双六は、この浄土双六です。江戸時代には、非常に人気があった遊びのようです。
南閻浮洲(人間界のこと)をスタートして、サイコロの目にしたがって、浄土に上り仏となるとゴールです。六角柱のサイコロには数字ではなく「南・無・分・身・諸・仏」の6字が刻まれています。
悪い目を振ると地獄に落ち、よい目を振ると浄土に近づきます。地獄に落ちても、また浄土に上り直すこともできるのですが、落ちたら二度と浮かべない「永沈(ようちん)」というマスもあります。
絵で紹介しているのは仏教伝道協会が復刻した浄土双六でとても美しいものです。江戸時代の庶民が遊んだものは、もっと簡素で少々おどろおどろしいものだったようです。
もっとも、江戸時代にも芸術性の高い浄土双六がお寺に奉納されています。今年、滋賀県彦根の圓常寺で見つかったものは、江戸後期のものでひり出しが南閻浮洲ではなく、「人生」となっています。少し珍しいものでニュースになっています。