日本を訪れた外国人が日本の交通事情を賞賛している記事や報道をよく見ます。しかし、クルマやバイクが横断歩道で止まらないことを気にする人もいるようです。
横断歩道の近くにヒトがいれば、クルマやバイクは停止しなければなりません。横断歩道は歩行者優先(道路交通法38条)です。違反した場合は3月以下の懲役又は5万円以下の罰金で、反則金9千円に違反点数2点です。自動車と歩行者が衝突した交通死亡事故の1/4が横断歩道を横断中に起こっています。
ちょっとここで「ゲーム理論」のおさらいです。有名な囚人のジレンマ。
囚人Aと囚人Bは、懲役15年が相当になる罪の共犯容疑で拘束されています。但し、決定的な証拠がありません。
司法取引で、双方が自白すれば2人ともを懲役5年に減刑し、双方ともが自白しなければ証拠のある一部を有罪として2人とも懲役2年の刑期にすると知らされました。そして、仮に一方が自白して他方がしなかった場合、自白した側は無罪釈放し自白しなかった側は懲役30年にするというのです。囚人Aと囚人Bは互いに連絡を取ることはできません。AとBの意思決定はどうあるべきでしょうか?
この表を見てわかるのは、2人ともが黙秘を貫いてそれぞれ懲役2年になるのが、最もよさそうです。これを「パレート最適」といいます。
しかし、それぞれの囚人にとって最も好ましいのは無罪釈放になることですし、相手の囚人が自白して自分が黙秘を続けたら懲役30年と酷いことになります。そこで、それぞれが自白をして懲役5年を甘受する選択をすることが考えられます。これを「ナッシュ均衡」と言います。
それでは、横断歩道での歩行者と運転者の意思決定を考えてみましょう。
運転者は横断歩道に歩行者を見つけたら、止まるか止まらないで走り続けるか。歩行者は横断歩道に自動車/バイクが近づいているようなら止まるか横断をするか。場合分けは図のようになります。
「パレート最適」は、歩行者も自動車も停止して、歩行者に優先的に横断してもらうことです。ところが、そうはならないのは囚人のジレンマと違って、お互いの情報が知られていることによります。運転者は歩行者としての経験を積んでいますし、歩行者の多くも運転者としての経験があります。
自動車やバイクの存在を認識した歩行者が横断歩道を渡ることには大きなリスク(衝突して死んじゃうかもしれない)があるので、止まって待つに違いないという暗黙の推測です。
自動車側には横断歩行者等妨害で取り締まられるリスクがあり、実際に年間30万件以上が対象になっているのですが、あまり身近に感じている人はいません。また、横断歩道上で事故を起こして相手を死なせても執行猶予付き判決が出るケースも多いということもあり、刑罰が十分な抑止になっていません。
横断歩道でクルマやバイクが停車あるいは徐行しないというのは、日本の風習です。世界の国に共通というわけではありません。海外からの訪問者が増えてきていることもあって、日本型の了解を変える時期なんだろうと思います。
さて、このケースでは「ナッシュ均衡」は存在しないはずですが・・・?
勤めていた10年前までは、ときどき仕事でベトナムや中国の南部などに行っていました。今も同じではないかも知れませんが、現地ではヒトもクルマやバイクもどちらも横断歩道では止まりません。
私たちはクルマに乗れないので、いつも歩行者です。信号が無い横断歩道で止まっていたら、いつまで待っても反対側にはいけません。現地のスタッフに「私について渡ってください」と促されておっかなびっくり横断歩道を渡ります。
そのときには、クルマやバイクを気に掛けずに、同じ速度で真っすぐに渡るように指導されます。そうすれば、現地の熟練の運転手はヒトを巧みに避けて通過するというわけです。
一種の「均衡」なんです。日体大の集団行動みたいな感じです。不謹慎ですが、結構気持ちよかったりしました。