計測がされていなかった昔の気温を推定することはかなり難しいことです。
1000年くらいの昔であれば、樹木や珊瑚の年輪の幅や密度から推定する方法、南極の氷床や高山の氷河などの酸素同位体比を分析する方法、古文書にある農作物の豊作不作から推定する方法などがあります。いずれも誤差が大きくて、研究者によって、研究した時期によって推定される温度が大きくばらつきます。
右のグラフのように、近年の地球温暖化前は比較的気温が安定したという分析が多いのですが、今から1000年ほど前の中世、日本では平安時代後期の12世紀頃には今より気温が高かったという推計もあります。
☞ 2018/08/06 平安時代のほうが暑かった!は原因が違います
ざっくりまとめると、過去1000年、11世紀から21世紀では、最初の頃の気温が高くて、その後は徐々に下がっていき、最近の100年間ですごく高くなったということには間違いなさそうです。
古文書によると、日本の平安時代後期には現代と同じように偏西風の蛇行やブロッキング高気圧の発生によって、非常な猛暑に見舞われることがあったようです。
1181年に亡くなっている平清盛の死因はマラリア感染だったという説が有力です。熱帯性の感染症が流行した年があったようです。
猛暑の対策として、貴族は梨を食べていたということです。梨は90%が水分のうえに、ミネラル(塩分)を多くふくむので、天然のスポーツドリンクとなるようです。
平安後期の気象は現在と同じように過激で、少雨と豪雨が繰り返され、巨大台風の発生や襲来が多かったようです。雷による被害も増えていて、夏に雹が降ったりするので、何かしらの祟りだと怪しんでいました。陰陽師の安倍晴明が活躍したのは少し前の10世紀後半ですが、実は安倍晴明の登場する説話は12世紀前半に書かれています。
794年 平安遷都
817年 摂津大風
864年 富士山 (貞観大噴火)
869年 貞観地震~887年 仁和地震(南海トラフ地震)
930年 清涼殿落雷(菅原道真の祟り?)
989年 永祚の風(平安時代を通じて最大の台風)
1008年 浅間山噴火(天仁大噴火)北半球の気温を1℃下げたと言われる
1185年 壇ノ浦の戦い
1192年 源頼朝が征夷大将軍となる