吉部八幡宮は神社の典型配置がよく残っている

宇部市北部に吉部という地域があり、吉部八幡宮という神社があります。

 

1261年にこの地域を治めていた厚東氏が、宇佐八幡宮の御分霊を勧請して造りました。祭神は、宇佐八幡宮と同じで應神天皇、神功皇后、比賣大神の三神です。吉部八幡宮は、日本の神社の典型をよく残していると思います。

 

 

吉部八幡宮周辺
吉部八幡宮周辺

吉部八幡宮は宇部市の中山間地というか、ど田舎にあります。少し開けた場所に小高い山(丘)があり、その南面に位置します。

黄色で書かれた県道が後からできて二分されていますが、ほぼ真南に向かって参道が一直線に延びています。参道の終わり当りに旧道が通っていたと思います。

 

旧道から参道越しに眺めると、見上げる位置に吉部八幡宮があります。往時でしたら、参道脇に店や宿などが並んでいて、賑わっていたものと思います。吉部八幡宮の周辺の地名が宮ノ馬場といいますから、武士の調練に使われた馬場があったのでしょう。

 

吉部八幡宮の境内西側に寺のマークがあります。真言宗のお寺ですが、その名も如意山神宮寺といいます。神仏習合で神社とお寺が同居しています。八幡神は八幡菩薩ともいって、神でも仏でもあって一心同体です。

 

 

参道をたどると2つのお寺のマークがあります。東側が西念寺で西側が常光寺といいます。どちらも浄土真宗のお寺です。

浄土真宗は神信心を忌避する印象があるのですが、長州では毛利氏が庇護したこともあって、参道や街道沿いによくあります。寺院は宿坊でもあり、西念寺は毛利公も泊まったということです。

 

織田信長に代表されるような戦国大名は真宗門徒と争ってきました。毛利氏は禅宗(臨済宗・黄檗宗)を信仰していますが、真宗と融和して保護しています。

西国では真宗の伝播が遅かったので、毛利氏は近畿以東の戦国大名の苦労をみて、庶民の信仰を集める真宗との争いを無用と考えたのです。