ひょんなことから、大麻とか麻薬とかが話題になりました。
この分野に関わったことはなくて、ほとんど知識がありません。「大麻」というのは麻の仲間の大麻草を乾燥させたものだそうで「マリファナ」と呼ばれることもあります。「コカイン」はコカという植物の葉が原料です。あへん(阿片)は、けし(芥子)の液汁を固めたものです。けしを原料にしたものには「ヘロイン」もあります。植物は動物や鳥、虫たちからわが身を守るために毒物を体内に保有することがあります。
麻薬にからんで起こった事件で、世界史的に最も重大なのはアヘン戦争です。
18世紀、イギリスは清から茶・絹・陶磁器などを輸入して、その対価を銀で支払っていました。当時のイギリスには、清に輸出する産品、つまり清が買いたいと思う商品が無かったので、赤字でした。
一方で、イギリスとインドの貿易は、インドからイギリスに綿花を輸出して、インドはイギリスから綿織物を輸入するという双方向で成り立っていました。
19世紀になると、イギリスでは空前の紅茶ブームがやってきて、対清の貿易赤字が大幅に増加します。
また、産業革命によって、綿織物が大量に生産できるようになり、国内にだぶついてきます。
そこで、イギリスは植民地として支配していたインドでアヘンを栽培して清に輸出して、インドに銀を獲得させることを考え付きます。インドは、アヘンの対価として獲得した銀で、イギリスからこれまで以上に綿織物を輸入するというわけです。
これが「三角貿易」で、当初は実にうまくいきました。まぁ、イギリスにとっては、ですが。
破綻のきっかけはインドの藩王です。実は、インド全土がイギリスの支配下にあったわけではなく、インド人の藩王領土もありました。藩王はイギリスがアヘンを清に売って大儲けしているのをみて、自分たちもアヘン商売を始めたのです。
清の商人は、藩王から安価にアヘンを買うようになったので、イギリスは困ってしまいます。イギリスは商売を守るために値下げを余儀なくされますが、インド側とお互いに値下げ合戦となって収益性が損なわれてきます。
そこで、イギリスとインドは手を組んで、物流を統一してコスト削減をしたうえで、アヘンの値段を相談で決めることにしました。藩王がアヘンの生産に参入したので、アヘンはこれまでの清への輸出量を大きく超えて生産されます。価格は安く設定することで、清が買いやすくして、アヘンを全て売りつくそうという戦略です。
この結果、清ではアヘン吸引習慣が市民に蔓延していき、国内の生産能力が低下していきます。さらに、アヘンの輸入が増えることで、清は貿易赤字に転落し、手持ちの銀が流出していきます。これでは、清国は成り立ちませんからアヘン貿易を禁止する政策をとり、アヘンを海洋投棄するに至ったわけです。
これに反発したイギリスは、1840年に清と開戦します。中国各地での戦闘を経て、1842年に香港割譲など、清に一方的に不利な南京条約を締結することで終結しました。
まったく、清にとっては、たまったものじゃないですね。