キッチンラップ戦争。禍福は糾える縄の如し

昨日の続きです。サランラップとクレラップのライバル物語を振り返ってみます。

 

現在の食品ラップ(キッチンラップ)のシェアは、1位:サランラップが40~45%、2位:Newクレラップが35~40%、トップ2で約80%ということです。3位は何か?と調べると、どうも地元・山口県の宇部フィルムがつくる「ポリラップ」のようです。

☞ 宇部フィルム「ポリラップⓇ」サイト

 

キッチンラップ
キッチンラップ

サランラップが1位で、Newクレラップが2位という状況が続いているようですが、実は発売開始当初は違っていました。

 

1950年代後半に、旭ダウ(1952年にダウ・ケミカルと旭化成工業の合弁で設立)は、サランラップをアメリカで発売していて、需要を伸ばしていました。

 

当時の呉羽化学工業は、日本でもキッチンラップの需要が急激に伸びると判断して、1960年7月にクレラップをサランラップに先がけて発売します。

旭化成が日本でサランラップの発売するのは、この年の年末になり、クレラップにおよそ半年遅れました。

 

「先んずれば人を制す」という孫子の兵法は、完全に成り立ち、クレラップは市場を席巻して販路を確立したので。サランラップが巻き返すには5年の期間が必要でした。

 

ここで、当時の事情を整理します。大前提として、キッチンラップの需要は冷蔵庫を使用する家庭が増えると伸びます。

アメリカでは1950年代が経済の黄金時代と呼ばれます。郊外に一戸建て住宅が建ち、キッチンに冷蔵庫が置かれるようになっていました。

 

一方で、日本の冷蔵庫普及率は1957年時点では僅かに2.7%でした。1950年代も終盤に入ると、日本も高度成長期に入ります。三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)の一つである冷蔵庫の普及率は1960年には10%に近づき、65年に50%を超え、70年には90%を超えました。呉羽化学の先見の明に感服ですね。

 

再び、当時の事情を整理します。

1960年当時は、スーパーマーケットが無い時代です。 1957年にダイエー1号店、1958年に岡田屋(後のジャスコ・イオン)1号店とイトーヨーカ堂1号店がそれぞれ開業していますが、消費者からは安売り店と認識されており小規模な店舗でした。

 

消費者がクレラップを買うのは金物屋さんか酒屋さんでした。クレラップは、非常に強固な販売網を迅速に確立して、サランラップの侵入を防ぎました。

 

セルフサービスを導入した、現在のスーパーマーケットに近い店は1962年の西武ストアー(後の西友)が最初と言われています。その後、ダイエー、岡田屋、イトーヨーカ堂、イズミヤなどが次々に出店して、スーパーマーケット全盛を迎えるのです。

 

日本では後発となり、クレラップの後塵を拝していたサランラップは、販路をスーパーマーケットに絞り込みます。消費者がキチンラップを購入する場所が完全に入れ替わっていくのですが、クレラップは自らが築き上げた既存の販売ルートを簡単には切り捨てられません。

 

サランラップは、スーパーマーケットの隆盛とともに、クレラップからのシェア大逆転に成功します。 「禍福は糾える縄の如し」という格言通りです。

 

この続きはまた明日。