山口県の場合、クルマで移動するときに、ラジオが入らなくなることはよくあります。
最近は、そんなときには落語を聞いています。志ん朝と小三治の聞き比べなどは、実に興味深いです。志ん朝の落語はまさに正当で、礼儀正しく、間合いも短く、そのまま文章にしても何の差し障りもありません。小三治のほうは、はすに構えて、ぶっきらぼうで、長い間合いで、枕が長くてライブでなければ面白さは伝わりにくいでしょう。
小三治の人気のネタに「死神」というお話があります。
死神が、自殺しようとしていた男に「枕元に死神がいたらその病人は助からず、足許に死神がいたときには呪文を唱えれば病人は快復する」と教えます。
男は、死神のアドバイスを利用して名医となり大儲けしますが、悪銭は身につかず、また貧しくなります。
そんなときに、男の元に使いが来て、江戸一番の長者が瀕死の病に侵され、回復すれば大金を出すと言います。
死神は長者の枕元におりましたが、男は長者の身体の向きを変えて、命を助けます。
怒った死神は、男を人の命を表すロウソクが並んでいる洞窟に連れていきます。死神は、今にも消えそうなロウソクを指さして、これがお前のロウソクだと教えます。他のロウソクに火を接ぎかえれば助かると、死神に言われた男は必死の思いで火を接ぎかえますが・・・。
「死神」は、怪談話や人情噺を多数創作した初代三遊亭圓朝が、明治時代につくったお話です。このお話には下敷きがあり、19世紀前半のドイツで出版されたグリム童話の「死神の名付け親」で、時代や設定は異なりますが、あらすじはほぼ同じです。
さらに、グリム童話「死神の名付け親」にも下敷きがあって、17世紀のフランスで出版された「ペロー童話集」に遡るそうです。
死神のお話は、古今東西で人気なんだとわかります。どんな偉人であっても思うようにはならない人の寿命とか運とかを、はかないロウソクの灯になぞらえるのは、どこの誰にでも腑に落ちるということのようです。
さて、落語の「死神」の落ち(サゲ)には、演者によっていろいろなパターンがあります。
圓朝のオリジナルは、男が火を移そうとしますが、焦って手が震えてうまくいかずに「あぁ、消える…」と言って、その場に倒れ込むという”しぐさ落ち”です。
小三治のオチは、長者の命を助けた褒美で深酒した男は、うたた寝して風邪をひきます。ロウソクの火を接ぐことには成功したのですが「ハ~、ハクション」という落ちです。
クルマで聞くには、小三治版がいいですかね。