万博はしょせん半年間の「祭」と割り切った1970年

関西万博のゴタゴタが連日報道されています。前回の関西で万博がおこなわれた1970年の日本と比較して、2025年の日本という国の活力が損なわれている印象です。 

 

日本総研が関西万博の開催が決まる前の2018年5月18日に発表している「万博成功に向けて:1970年万博の示唆」という資料がとても興味深いので紹介します。関西万博2025を成功させるには、大阪万博1970を参考にするとよいという提言です。☞ 日本総研 

 

大阪万博 EXPO’70
大阪万博 EXPO’70

引用させてもらいます。 

《要 点》

現在、大阪は2025年の万博開催を目指している。誘致レースはまだ予断を許さないが、誘致に成功した場合、速やかに開催できる体制を構築する必要がある。

 

そこで万博の成功事例の一つとして位置づけられる1970年の大阪万博から成功するために何をすべきか考察する。 

 

1970年の万博の特徴は次の4点。

(1) 理念・エンターティメント性・希望を重視した全体設計

(2) オールジャパン体制で人材を投入

(3) 半年間の「祭」と割り切り若手や前衛芸術家等に活躍の場

(4) 新技術・新ビジネス手法等のレガシー創出

 

2025年万博でも、理念・エンターティメント性・希望を重視した全体設計が重要。次にオールジャパンで体制を構築することも不可欠。ポストオリパラの経済政策の動きと連携していく必要。若手やベンチャー企業などを積極的に活用して、既成概念に縛られないものにする。イノベーションや新ビジネスの創出に繋げ、ポスト万博のレガシーにも発展させる。

 

このレポートで注目したのは、大阪万博に関わった多彩な人材についてです。

テーマ作成は、通産省の初代デザイン課長・新井真一のもと、湯川秀樹、井深大、武者小路実篤、大佛次郎、大来佐武郎、曽野綾子、貝塚茂樹、茅誠司、松本重治、桑原武夫等の当時の日本を代表する18名が結集した。

 

準備に投入された人材は、イサム・ノグチなど当時の大御所的な人物もいたが、若手やいわゆる「前衛」「アングラ」芸術家が数多く投入された。 具体的には、磯崎新(38歳)、黒川紀章(35歳)、横尾忠則(33歳)、石岡瑛子(31歳)、コシノジュンコ(30歳)、ちばてつや(30歳)など、その後大活躍する人材が積極的に登用された。

 

半年間の「祭」と割り切ったということです。建築家ではない横尾忠則等を起用したのは、半年たてば解体するものだから、プロの建築家でなくてもよい(むしろ、ないほうがいい)という考え方だったそうです。

 

一方で、お祭り広場と太陽の塔で有名なシンボルゾーンでは、丹下健三(56歳)と岡本太郎(58歳)という当時の日本のエース2人が協働するという大仕掛けもありました。

 

関西万博の8人のプロデューサーさんにもっと期待したいですね。

藤本壮介・石川勝・福岡伸一・河森正治・河瀨直美・小山薫堂・石黒浩・中島さち子・落合陽一・宮田裕章の各氏です。有名な方々で、メディアでもよく見るのですが、関西万博と関わっていることはあまり知られていないように思います。

 

尚、アンバサダーは、コブクロ・佐渡裕・ダウンタウン・宝塚歌劇団・松本幸四郎・山中伸弥の各氏ですが、この方々にももっともっと期待したいです。