極端化する気象。洪水や氾濫は不如意のまま

平安時代末期には摂関政治が衰え、院政の時代がおよそ100年続きます。

 

1068年に摂関家を外戚にもたない後三条天皇が即位し、天皇親政がはじまります。後三条天皇は1072年に、やはり摂関家を外戚にもたない皇子を後継として白河天皇が即位します。翌年に後三条天皇は亡くなり、白河天皇の親政となるのですが、いろいろ悶着があります。そこで、1086年に白河天皇は幼い皇子を堀川天皇として即位させたうえ、上皇(後には法皇)として天皇を補佐するという名目で政治の実権を握ります。これが院政のはじまりです。

 

 

京 鴨川
京 鴨川の増水

 

白河法皇の権勢が最も盛んだったのは、西暦では1100年の前後になります。実は、この平安末期という時代は、今と同じか、それ以上に温暖な気候でした。

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白河法皇の当時の権威の大きさを示すものに、”天下三不如意”というのもがあります。白河法皇が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と語ったという逸話が平家物語に書いてあるのです。

逆に言えば、白河法皇にとって、それ以外のものは全て管理できるということです。

 

京都の洪水発生頻度
京都の洪水発生頻度

この一番目に「賀茂川の水」とあるのは、京都の中心部を北から南に流れる鴨川です。白河法皇の治世である平安時代末期の鴨川は、とても頻繁に氾濫を繰り返しました。京の都は何度も洪水の被害にあったようです。

白河法皇は、全力を挙げて鴨川の治水に取り組んではいたのですが、どうしても克服することができませんでした。

 

双六のサイコロの目が自由にならないことも、比叡山の僧兵たちが繰り返す横暴に手を焼いたことよりも、鴨川の洪水には苦労をしたのだと思います。”天下三不如意”には、その苦々しさが表れています。

 

現代の治水技術を持ってすれば、鴨川の洪水被害を最小限に抑えることは、あるいは可能かもしれません。しかし、集中豪雨や極端化した異常気象が続く限り、根本的な対策とはならず、白河院政から1000年近く経った現在でも、天下不如意ではあり続けています。