20世紀後半に、世界で最も繁栄を謳歌したのは日本とドイツ(西ドイツ)だと言ってもあながち間違いではありません。
日本とドイツは戦争で敗れました。日本の場合では、降伏するタイミングを失なってしまい、本土をくまなく空爆されて、まさに焼野原になりました。ここから、日本がアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国にのし上がるのには四半世紀を必要としませんでした。しかも、その後の半世紀に渡って、日本は世界で重要なポジションを維持し続けています。
戦争はあってはならないことです。しかし、悲しいことに起こることがあります。
多くの場合には、権威をもった統治者の暴発がきっかけになります。ロシアのプーチン大統領はわかりやすいですが、ハマスの場合は誰かはよくわかりません。
日本の近くにも、暴発しそうな人が複数おります。外交努力でなだめたり、ちょっと脅したりしていますが、不安は募ります。
荒山徹さんの「白村江」という小説を読みました。(PHP文庫)
7世紀中盤、高句麗の領土は朝鮮半島北部から中国東北部・ロシア沿海州に広がり、接する唐と争っていました。高句麗は半島西部を領土とする百済の支援を受けていました。半島東部の新羅は百済と敵対していたことから、唐と新羅は連合して百済を攻めました。百済は唐・新羅連合軍によってほぼ滅ぼされます(660年)。百済の再興を期す勢力が、皇子が亡命していた倭国(日本)に協力を求め、倭国はこれに応じます。百済残党・倭国の連合軍は白村江で新羅・唐連合軍との戦いに敗れ、百済は完全に滅びます(663年)。孤立した高句麗は唐によって滅ぼされます(668年)。朝鮮半島全土は唐の勢力下となりますが、残った新羅が唐を駆逐して半島を統一します(676年)。その後も・・・。
この白村江の戦いは、日本が外国と戦った初めての本格的な戦争です。
日本は半島に1000艘の軍船と3万の兵を派遣したとされます。当時の日本の人口500万人弱ですから、現在になおすと75万人(自衛隊が全部で22万人)規模に当たる派兵です。百済残党軍には大した兵力はないので、超大国唐とアジアの先進国新羅を相手に日本(水軍)がほぼ単独で戦ったわけです。大兵力と言っても、遠征軍である日本に勝ち目があるはずありません。あっけなく大敗して、大きな損害だけを残します。
今となっては、日本が百済に肩入れした理由は定かではありません。当時の日本は大化の改新(645年)を経て比較的平穏な時代でしたので、あえて負ける戦いに踏み込んだのかは、歴史の謎ですから、小説家の創造力を掻き立てて「白村江」は面白いです。
百済との関係や恩義というより、百済を倒した唐と新羅が次に狙うのは日本だという恐れがあったというのが妥当かと思います。
しかし、この白村江の戦いに敗れたことが、その後の日本に大きな効用を与えるのは興味深いことです。<続きは明日>