大内氏は交際範囲が広かった。大内氏館跡整備

西国一の大名だった大内氏の館跡の発掘調査と整備が進んできています。 

 

大内氏の館跡の発掘調査で面白いのは、趣向を凝らした複数の庭園が発見されたことです。池泉庭園がある反対側には立石と枯れ流れの枯山水庭園があり、石組だけの庭園も別にあります。国内外に交際範囲が広かった大内氏の特徴が表れているように思います。

 

大内氏館跡庭園
大内氏館跡庭園(山口市Webサイトにリンク)

室町時代の庭園と言えば、三代足利義満の金閣寺と八代足利義政の銀閣寺です。いずれも庭園には池があって、水面に映る建物の美しさが広告に使われます。

足利将軍家の邸宅は花の御所と呼ばれましたが、鴨川の水を引いた優美な庭園があったそうです。大内氏を含む各地の大名は、花の御所を挙って真似たと言われます。

 

その後、中国から山水画が伝わるようになると池泉のない、枯山水庭園が造られるようになります。寺院の庭園として広く普及したものですが、大内氏館にも造られました。

 

さらに、石組だけの庭園は織田信長や豊臣秀吉などの武将が好んだようです。庭園の要に名石を配することで、自らの力や権威を表したという説もあるようです。

 

もちろん庭園は主人が楽しむだけのものではなく、客をもてなす社交や接待の場という役割があります。

天皇家や公家、足利将軍家や各地の大大名、大陸やアジアの貿易相手と博多の商人、果てはザビエルなど宣教師、とにかく交際範囲の広い大内家としては、客の好みに合わせて複数の庭を造っていたのかも知れません。

 

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