昨日の続き。江崎グリコは1922年2月11日を創立の日として、昨年が100周年だったそうです。☞ 「江崎グリコ 100th anniversary」Webサイト
グリコの創業者・江崎利一は佐賀県の出身です。1919年に37歳の利一は、筑後川河口で水揚げされる牡蠣の煮汁に含まれるグリコーゲンの事業化を思いつきます。いろいろ試作を繰り返した結果、栄養菓子グリコを創製して、試験販売をします。手ごたえを感じた利一は、1921年に大阪に移住して、本格的に販売をはじめます。
利一は販売努力や味の改良など努力を続けて、大阪移住の翌年、1922年2月11日に三越にグリコを置いてもらうことに成功します。これ以来、この日を江崎グリコの創立記念日とすることにしたそうです。
以下、グリコの歴史をピックアップします。
1927年に豆玩具おもちゃを創案。グリコと言えば、おもちゃの小箱ですが、こんなに早い時期のアイディアだったのですね。
1933年に酵母を使ったビスケット菓子「ビスコ」発売。
1935年に道頓堀に初代のグリコサインを設置。
その後、第二次大戦の空襲で大阪工場・東京工場が全焼します。1951年に再建されます。
1955年にアーモンドグリコ、1960年にワンタッチカレー、ポッキーは1966年、プッチンプリンは1972年と今につながる商品が開発されていきました。
Glicoグループには「Glicoの七訓」があるそうです。
「創意工夫・積極果敢・不屈邁進・質実剛健・勤倹力行・協同一致・奉仕一貫」の七つです。グリコは大阪の会社ですが、ちょっと佐賀っぽい印象もありますね。
比較として、同じ大阪の松下幸之助の「七精神」です。
「産業報国・公明正大・和親一致・力闘向上・礼節謙譲・順応同化・感謝報恩」の七つです。さすが、幸之助は気宇壮大です。
最後に七訓と言えば渋沢栄一です。「夢なき者は理想なし、理想なき者は信念なし、信念なき者は計画なし、計画なき者は実行なし、実行なき者は成果なし、成果なき者は幸福なし、ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず」
Glicoの100年も、夢を追い続けた100年であったようですね。