テレビの鑑定団では、箱の有る無いで鑑定額が大きく異なることがあります。
茶器などの骨董品の場合は共箱があって、著名な宗匠の極めがあれば、価値が倍にも3倍にもなります。品物だけでは1千万円だが、箱があるので2千万円といった感じです。近代につくられた、おもちゃなどでも箱があるから値段が倍の評価になると鑑定されます。
写真は、東京国立博物館が所蔵する信楽焼の水指です。
千利休が所持していたもので、表千家四代の江岑宗左(こんしんそうさ)が「柴庵(しばのいおり)」と名付けました。
内箱蓋裏には表千家七代如心斎宗左(じょしんさいそうさ)が「志からき水指 古宗左書付/柴庵」という箱書があります。
箱が品物の来歴を語ってくれるわけです。
品物が裸で1千万円、箱がつくと2千万円とはいえ、箱だけでは1千万円というわけにはいきません。箱だけで価値がある場合でも、せいぜい数十万円にしかならないように思います。中身があってこそです。
古い絵画の額縁とか、中世以前の人形の台なんかも同じです。
会社でもカリスマ社長の業績に大きな価値がある場合でも、会社全体の価値が高まっているのは、目立たない側近の力があったからこそということも多そうです。その人だけでは値段がつかないかもしれませんが、大事にしなければなりません。
一方で、自分の力で会社の価値が2倍になったのだからと、自分の力量や価値を過信するのも禁物です。あくまでも会社という中身があってこその成果です。