日本の近代的な交通体系は織田信長、豊臣秀吉の天下統一から始まりました。
織田信長は関所の廃止に取り組み、伝馬制と駅制をはじめて全国的な交通を可能にしようとしました。主要道に一里塚の設置を命じたのも信長です。後を継いだ豊臣秀吉は関所の全廃、道路や橋梁の整備を進めます。京・大阪を中心とする道路網は秀吉が整備したものです。また、秀吉は朝鮮出兵に先立って、京と肥前名護屋の間に駅伝制をつくりました。
江戸に幕府を開いた徳川家康は、江戸・日本橋を拠点とした幕府直轄の五街道整備事業にとりかかります。
この五街道は、統一規格となっていて、幅15mです。両側各2.7mには並木を配置しています。通行できる道幅は約9.5m(今の道路では3車線分)でした。
東海道53次、中山道69次など五街道の整備が完成するのは、家康の没後、三代将軍家光時代の1624年です。足掛け24年の事業でした。
徳川は江戸と京・大阪を結ぶ街道を2本整備したわけです。メインとして施設や人馬の準備を充実させていた東海道と、東海道の半分くらいの規模だったサブの中山道です。参勤交代する大名の数は東海道が150家ほど、中山道が30家ほどでした。
さて、今年のお盆を直撃した台風とその後の集中豪雨で、東海道新幹線とそれに連結する山陽新幹線で大幅なダイヤの乱れが生じました。1964年の開業から60年を経過して、東海道新幹線の老朽化や構造上の脆弱性がクローズアップされています。
これを補完することを目的としたリニア中央新幹線は2027年の東京~名古屋間開業予定が、静岡県知事の反対によって事実上不可能となり、その後の見通しが立ちません。
自然科学の原理からいえば、東海沖地震のリスクは極めて高くなっています。日本の東西を結ぶ幹線が長期に失われる可能性は大きいです。そろそろ印象論や政治社会運動に終始するのではなく、真っ当な議論をしないと日本国の持続可能性が一層低下しそうに思います。