山口県の旧国名は、西が長門で国府は長府(下関市)、東が周防で国府は防府です。
長門はもともとは「穴門(あなと・あながと)」でしたが、奈良時代に出された”国名は好字二字で表すように”という「好字二字令」によって、穴を長に代えて「長門」になったそうです。穴門は水門(みなと)のことで、関門海峡を表しています。穴門国が長門国に改称する頃には阿武国を併合していたそうです。
周防(すおう)はもともと室津半島の熊毛にある地名です。 室津半島には大きな古墳が多数あるように、熊毛の王は瀬戸内海航路を重視していたヤマト王権と深いつながりがありました。
周防は窄む(すぼむ)から転じた読みで、窪んだ土地を表しています。古い時代には、室津半島の盆地に周防の総領があったのです。大化改新以降に国府は防府に移りましたが、国名は周防のまま残りました。
大化(645~650年)以降、最初の改元は白雉(650~654年)ですが、大化6年2月9日に穴戸国の国司・草壁醜経が白雉(白いキジ)を献上したことに由来するそうです。中央政権と長門・周防の結びつきの強さを示すエピソードです。
※写真は柳井市の茶臼山古墳(柳井市のwebサイトより):茶臼山古墳は、4世紀終から5世紀初めに造られた前方後円墳です。全長約90メートルで山口県では平生町の白鳥古墳に次ぐ大きさです。この古墳は、明治25年(1892)地元の二少年が偶然発見しました。このとき発掘された出土品の中で、単頭双胴怪獣鏡(大鏡)は直径44.8センチあり古墳から出土した鏡では日本で最大のものです。