独立した中立な第三者機関という幻想

昨日の続きですが、何か事件が起こると「独立した第三者機関」による調査とか監査・監督という話が出てきます。

 

そもそも、独立した第三者機関なるものが存在するのか、あるいは存在させることは可能なのかという疑問があります。第三者機関には、専門家として認められるような資格を持つ人や、知名度のある高位の役職の人などが選ばれます。この人たちの短時間の拘束に対して高額な報酬を提供するのは、調べられる側の組織や団体です。

 

天秤
天秤

社外取締役の数を増やすだけでは、経営の透明性が増すわけではありません。

監査法人も高額な監査報酬をもらっている会社に楯突くことはなかなかできません。

ISOなどの認証でも、よほどのことが無い限り認証しないなんてことはありません。

 

検察官適格審査会という独立した第三者機関もあります。定数11人で国会議員6人、最高裁判事1人、日本弁護士連合会会長、日本学士院会員1人、学識経験者2人という構成です。悪質な違法行為をした検察官はおりますが、不適格とされた者は誰もいません。   

 

事件を報道するマスコミなども独立していません。冤罪事件などは、マスコミによって産み出され、育てられるものが多いです。

裁判所や裁判官が独立して中立であることに期待したいところですが、多くの事例がそんなことはないと教えています。

 

組織が正しく運営されるには、「独立した第三者機関」だけでは効果が期待できません。

経営者や経営幹部と全ての従業員が気持ちを合わせて仕事に取り組む以外にはありません。事業で間違いが起こるのは、ここに何かの問題があるのです。

 

経営者の傲慢であったり、従業員の卑屈であったり、組織的な浅慮であったりします。サステナブルな組織になるには、自浄作用が働き、浄化されていくことがどうしても必要です。

民間企業はどんな業種の巨大企業であっても永続性を保証されていませんから、いつまでも浄化されなければ、市場から退場していきます。

 

問題は行政機関などですが、組織そのものを思い切った模様替えしてみることも必要なのかも知れません。例えば、占領下にGHQの置き土産でできた検察特捜部などは、戦後80年近くなり、もう廃止してもよいのではないでしょうか? 

この他にも、なんとなく存続している組織や機関はかなり多いように思います。