人はリスクに対して科学的な判断はできない 放射能処理水問題

福島原発の処理水の海洋放出を検証する韓国政府の視察団が昨日帰国しました。

 

報道によると、韓国国民の多くは今でも処理水の放流に反対で、韓国視察団の専門家による調査を信用できないと考えているようです。この専門家(科学者)を信頼できないというのは、韓国だけではなく、日本でも同じです。特に、放射線を含む環境問題や、新型コロナ感染症を含む医療問題では、専門家の信頼性は年々低下しているように思います。

 

土偶の意味するもの(諸説あります)
土偶の意味するもの(たくさんの説あります)

人は自らのリスクに対して、自然科学的な合理的な判断をできないものです。それは、韓国の人に限らず、日本人も同じですし、世界中の人で変わらないことです。

 

放射能という目に見えないものがあります。放射能にはリスクがあります。そのリスクが人に対して危険であるか危険でないかは、現時点で(推測はできますが)完全に明確ではありません。 

 

目に見えない放射能ですが、いろいろな発生源があります。自然のなかにもあり、人工的な放射能よりも強い場合もあります。自然の放射能にはリスクが無く、人工の放射能にはリスクがあると多くの人は感じます。

 

人工の放射能には医療用や産業用のように、人が制御しているものと、原発事故や核兵器のように制御できていないものがあります。やはり、多くの人は制御された放射能にはリスクが無く、制御されていない放射能にはリスクがあると感じます。それは、放射能の強さとは関係ありません。

 

ダイオキシン、環境ホルモン、土壌汚染での鉛や砒素、大気中の窒素酸化物、そして新型コロナウイルスなどでも同様なことが言えます。

これらにはいろいろな「基準値」が決められています。そして、多くの人は基準値を超えていると危険であると誤解します。そもそも基準値は基準値であって、これを超えるとリスクがあって危険だということは意味していません。

 

新型コロナ感染症は、日本の衛生環境、日本人の栄養状況、さらに保健医療の水準を考えれば、これほどの大騒ぎするほどリスクがあったかは大いに疑問です。それでも「可能性は否定できない」として、社会を破壊するほどの措置がおこなわれました。

確かに100%否定できなければ(99.9999%否定されても)可能性はあるわけです。この魔法の言葉によって実行された措置によって、多くの日本人の命と心が失われたわけですが、これが検証されることは当分はなさそうです。