G7広島サミットにウクライナのゼレンスキー大統領がやってきました。
G7がロシアを含むG8だったのは、1998年から2013年までの16年間でした。1973年に英米仏独(当時は西独)の4か国「ライブラリーグループ」の経済財務省会議は、1975年に日本を加えた「G5」となり、直後にイタリア、1976年にカナダが加わって「G7」となりました。1977年からはEU(当時はEC)が加わります。
そして、1991年の冷戦終結から7年後、1998年にエリツィン大統領が率いるロシアはG7に迎えられ「G8」となったわけです。
2000年にエリツィンからプーチンに大統領が代わっても、ロシアは「G8」メンバーであり続けました。
ロシアにG8に加わる資格があるのか(そもそも先進国と言えないじゃないか)という疑問はずっとあったのです。
しかし、世界の安全保障とエネルギー という大問題はロシア抜きでは解決できないという現実政治のバランス感覚が、ロシアをG8に留めていたわけです。
2006年にはプーチン大統領の故郷、サンクトペテルブルグでロシアが議長国としてG8サミットが開催されています。
このG8サミットでは、ロシア(とりわけプーチンのロシア)は政治的のも経済的にも秩序を回復させてきているという好意的な評価がされています。このとき、2008年に大統領の任期が満了するプーチンは三選を否定しており、次期大統領が担う政権が、プーチンの政治情勢を継続できるか否かが次の焦点でした。
ところが、ここからプーチンは変わってしまいます。メドベージェフ大統領の傀儡政権4年をはさんで、2012年にプーチンは事実上の終身ロシア大統領となるのです。
2013年にイギリスで開催されたG8では、ロシアは自国の役割を認識しており、世界経済と安全保障に貢献する姿勢がみられます。そして、翌2014年のG8はロシアのソチで開催されることが決まりました。
しかし、プーチンの14年に及ぶ長期政権による腐敗と不正の横行は、ロシア国内に不満を溜めこみました。その膨れ上がった不満を抜き去るためにプーチンがとったのが、2014年3月のロシアによるウクライナ・クリミアへの侵攻です。
これを受けて、G8ソチサミットは中止となり、EU本部のあるベルギー・ブリュッセルでロシアを除いたG7サミットが開催されました。このとき、G7は当時のウクライナが独裁と抑圧国家であったこと、プーチンに何らかの役割を与え続けた方が安全保障に役に立つのではないかと考えたことから、ロシアに対する断固とした措置を取りませんでした。
これから8年余り、日本を含む世界の安全保障環境は大いに(悪い方に)変わっています。日本の隣国では、ロシアから10年遅れで終身独裁政権が成立しました。
次の10年が、日本にとって、また世界の安全にとって、どんな変化があるのかは重大です。G8広島サミットの真価が問われます。