日本赤十字の日、武器なき勇者を称える

5月1日は「日本赤十字の日」だそうです。広島平和公園にマルセル・ジュノー博士の顕彰碑があります。

 

日本赤十字社のwebサイトより、「武器なき勇者、マルセル・ジュノー博士」などを参照します。ジュノー博士はスイスの医師で31歳のときに国際赤十字委員会の派遣員になります。最初の赴任地は、第二次エチオピア戦争(イタリアのムッソリーニ政権による侵攻)がおこっていたエチオピアです。

 

マルセル・ジュノー博士顕彰碑
マルセル・ジュノー博士顕彰碑

その後、スペイン内戦、第二次大戦の欧州で赤十字の活動に参加した後、国際赤十字委員会の駐日首席代表に就任します。

但し、日本政府はジュノー博士の来日を拒否し続けます。結局、終戦直前の1945年8月9日(広島原爆投下から3日、長崎原爆投下の当日) に、ジュノー博士は東京に到着しました。

 

ジュノー博士の功績は碑文に刻まれています。

「1945年8月9日、赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日 広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行きヒロシマ救援を強く要請_9月8日調達した大量15屯の医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を踏査 自らも被爆市民の治療にあたる_博士の尽力でもたらされた医薬品は市内各救護所へ配布 数知れぬ被爆者を救う 博士の人道的行為に感謝し 国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念してこれを建てる」

 

ジュノー博士のメッセージは、1982年の著作『Warrior without weapons』に示されています。

「私がこれまで目にしてきたことを、"過去の出来事"として片づけるわけにはいけません。いまだに同じような光景が目の前に広がり、この先はさらに広がっていくでしょう。助けを呼んでいる人たちは数知れず、彼らのその声はあなたに向かっているのです。」

 

ジュノー博士が目にしてきたことは、エチオピア戦争でイタリア軍が使った毒ガス兵器にはじまり、原子爆弾の恐怖へとつながります。世界の人が、みんなでよく考えないといけません。