事業継続計画(BCP)の作成を支援する際に「津波」を考慮する場合があります。
瀬戸内海に面した当地では津波の経験が乏しく、被害の実感がありません。このためハザードマップでも洪水・高潮による浸水と津波を同じように考える場合があります。しかし、洪水による2mの浸水と高さ2mの津波が襲来するのでは意味が異なります。津波に対する対応を考えておく必要があります。
瀬戸内海に面している宇部市など山口県の事業者さんの場合、津波が実際の脅威とは考えにくいのです。一方で、洪水や高潮の方は経験していない事業者の方が少ないくらいで、差し迫った脅威です。
リスクマネジメントは、その事象が起こる確率×被害の大きさですから、津波被害をあまりに軽く評価するのは間違いです。繰り返しますが、2mの浸水と2mの津波では被害の大きさ、人命への脅威は津波のほうが大きいです。
さて、宇部市を襲った津波としては1848年の安政南海地震があります。図に示したように、日本列島の太平洋岸を大津波が襲っています。瀬戸内海側では大阪が津波で大きな被害が出ましたが、西に行くにしたがって津波は弱まって、宇部市では1.5~2.0mくらいだったようです。それでも、その当時のことを書き記した資料があります。
御届申上候事
一 棚井村存内沖且大川土手馬踏通り響き目長七拾間程にて御座候得共、人馬通路の妨には相成不申、痛所の儀は早速取繕仕候事
一 御撫□地中野御開作内詰所土地引割、泥水を吹出、井の水干揚り又は泥水湧出、古家大垂落、白壁引割、潮の干満一汐に四・五扁も有之たる由、存内庄屋大田作兵衛より申出仕候事
一 東万倉村の内宗方村に有之候温泉の場所より出水を以是田畑弐三町も水掛りの処、出水差留り、剰其所え吸込候様子御座候事
右船木御宰判にて過る五日夕方地震至て手強く終夜数度震有之候得共、最初の分よりは弱く、・・・
寅十一月七日
大庄屋 三戸晋九郎
松本甚左衛門殿
宇部市民にはよくわかる内容ですが少し解説します。
毛利藩の直轄地は宰判と呼ばれていました。藩士が代官に任じられていますが、行政の実務は大庄屋・恵米方・算用方という村三役がおこないます。11月5日の夕方に起きた大地震(安政南海地震)について、翌々日の7日に、三役の大庄屋・水戸晋九郎が、萩にいる代官の松本甚左衛門に急いで報告をしました。
➀ 棚井村(今の宇部市厚南)沖ノ旦で、道路が130mほど崩れたけど修繕します。
② 中野開作(今も同じ宇部市中野開作:毛利藩の干拓地)で、液状化が起こり、古い家は崩れ、白壁は割れた。津波が4回5回とあったと、現地の庄屋の太田作兵衛から報告を受けた。
③ 東万倉村(今の宇部市東万倉)の宗方温泉(今もあります)から水が噴き出して田畑3ヘクタールが冠水したが、出水は既に止まった
私のいる船木宰判(今の宇部市と山陽小野田市全域。勘場(役所)は今の宇部市北部総合支所の場所です)では、5日夕方の地震が一番大きくて、その後も余震が続いたが徐々に弱くなっている・・・・ と報告しています。
南海トラフの地震も怖いですが、瀬戸内海の中で断層型地震が起こる可能性もあります。津波ハザードマップの評価をみて、正しく恐れることは大事です。