宇部の琴崎八幡宮、山口の山口大神宮、あちこちの神社には稲荷社が併設されています。
日本に神社は12万社余り(諸説あります)ですが、そのうち3万社が稲荷社だそうです。琴崎八幡宮の主神は仲哀天皇(足仲津比古命)で、山口大神宮は天照大御神です。主神がどなたであれ、稲荷社が脇にあります。脇にあるのですが、稲荷社には赤い鳥居が連なるのでやけに目立ちます。
稲荷社の本宮は京都の稲荷山(伊奈利山)にある伏見稲荷です。
「山城国風土記」の逸文によると、和銅4年(711年)、秦伊侶具(はたのいろぐ)という人物が、餅を的にして弓を射たところ、餅が白鳥になって山の彼方へ飛んでいき、その白鳥が降り立った場所に稲がたわわに実ったそうです。そこに神様をおまつりしたことが伏見稲荷大社の創建とされています。
しかし、どうも稲荷社や稲荷信仰の由来ははっきりしないようです。風土記の逸文というのも、正確性は疑わしいようです。西暦949年に書かれた「神祇官勘文」という神社の由来などを解説した書物に、稲荷社の立社由来はわからないと書かれています。
稲荷社は何故かわかりませんが、霊験あらたかということになり、摂関家など有力貴族に信仰するものが多く出ました。伏見稲荷の大規模な社殿は908年に左大臣・藤原時平によって修造されています。時平が左大臣についたときの右大臣が菅原道真、天神様です。
藤原氏が信仰したことから、天皇や皇族でも稲荷信仰は広がります。さらに、10世紀の中頃からは、稲荷信仰が京や大阪の庶民にも普及していきます。その後、稲荷は稲成りということで、稲作や農業の神様として農民にも信仰されていきます。こうして、日本国内のあらゆる階層、あらゆる地方に稲荷信仰が広がっていったとされます。
尚、稲荷社の主神は、古事記に登場する食の神、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)とされていますが、これは後付けのようです。稲荷社は、その土地ごとの、また家(家系)ごとの弥栄を願っているから、日本の神社の1/4を占めるまで広まったということのようです。