東日本大震災から12回目の3月11日を迎えました。
私も含めて多くの人の人生を転換させた大事件でした。あの震災が起こらなかったら、私も会社を辞めて独立していなかっただろうと思います。まぁ、私などは直接に生命や生活の危険にさらされたわけではなく、間接的な影響なので大したことはないのですが、震災後の日々は思い出されます。
あの夜遅く、都心の会社から単身赴任していた東京の端にあるアパートに歩いて帰りました。
まわりは、普段は駅の構内でしか見ないような大勢の人が、自宅に向かって淡々と無言で歩いています。日本人の規律正しさや我慢強さが表れる光景ですが、ちょっと怖いほどでした。
さて、視点を大きく変えてみます。
2011年3月11日(金)の米ドル対円相場は82.9円でした。現在の136.0円と比較すると56.1円の円高ドル安です。
震災の被害の大きさが甚大であることが明確になった週明け14日(月)ですが、82.1円とさらに円高が進みました。その後も円が強い流れは止まらず、7月13日には80円を突破し79.5円。10月31日には今も破られていない75円32銭の円高となります。
余震の揺れやら、計画停電の暗さの中で、円高の動向が常に気になっています。日本政府の為替介入が何度かありましたが、2011年末は77.7円で終わりました。この1ドル70円台という円高基調は、翌2012年12月に民主党から自民党への政権交代となる時期まで続きます。
震災前の2010年には90円台だった為替水準が、震災以降はおよそ2割の円高となったことで、日本の輸出産業の損失は大きくなりました。輸出産業の筆頭である自動車は、国内での生産インフラへの被害に加えて為替での損失が重なりました。今、話題の半導体産業や情報通信機器も、リーマンショックからようやく回復してきた時期だけに、このときのダメージが大きかったと思います。
震災による国内生産基盤の損傷に加えて、強烈な円高ですから、企業は海外へ生産拠点を移動させることを考えます。また、優良な海外生産拠点や事業を買収する動きも活発になりました。いわゆる国内の空洞化です。
☞ 国内雇用・産業の空洞化とEPAをめぐる世界の動き(2011.8.2 経済産業省)
もちろん、輸出と輸入が同額の企業であれば、為替は中立です。輸入が多い企業にとっては円高は有利ですから、大きな利益をあげることにもなります。実際、私のいた会社では、海外でのプラント建設案件が為替変動で予想外の利益をあげました。国内の建設案件が壊滅状況だっただけに、これは助かりました。