山口県で仕事をして最も行く機会が少ない市町が「花咲く海のまち」上関町です。
上関町webサイトを参照:山口県南東部に位置し、瀬戸内海に面した室津半島の先端部とその南側に位置する長島、祝島、八島、半島部と島しょ部によって形成された山口県最南部の町です。3月1日現在、人口は2362人で高齢化率58.5%(5年前の2018年3月1日は、2829人・56.1%)と、過疎化が急速に進んでいます。
長州藩では瀬戸内海沿岸に沿って、上関・中関(防府市の三田尻)・下関(赤間関)の3つの番所を設けていました。番所は、航行する船を見張ったり、積荷を改めたりする役人の詰所のようなものです。
上関には、江戸時代に朝鮮通信使が立ち寄る御馳走場所が設けられました。朝鮮通信使がユネスコの記憶遺産に登録されたことから、ゆかりの史跡が残っている上関は少し注目されています。
朝鮮は江戸時代の日本が国交を持っていた唯一の国(琉球を加えるなら二つ)です。朝鮮国王は江戸時代に合計12回、通信使を派遣しています。
正使(全権大使)を筆頭にソウルを出発した100人ほどの通信使一行は、朝鮮各地からの随行者を加えながら500人規模となって釜山に集まります。
朝鮮通信使は先ず対馬に渡ります。ここで、対馬藩主を含めた対馬藩のメンバーが加わり、壱岐から九州へと渡ります。対馬藩主一行は江戸まで朝鮮通信使を案内して行くのです。
朝鮮通信使一行には、長州藩として応接する役人や警固する者なども加わります。朝鮮通信使上関来航図には、周りを固める毛利水軍の護衛船団を含めて、夥しい数の船が描かれています。小さな上関の港に、総勢2000人規模の人と船がやってくるので、対応するのは実に大変だったと思います。
小さな港町ですが、見どころのある上関です。おいでませ山口へ!