野党の議員が岸田首相に「さまざま」とはごまかす時に使う言葉だと指摘しました。
ニュース引用:質問に立った辻元氏は冒頭、岸田文雄首相に対して「総理の口癖は『さまざま』なんですよ。『さまざまな議論』『さまざまな意見』と、おっしゃるときは、だいたいごまかす時なんですね。私が聞きたいのは総理の『さまざま議論がある』という紹介ではない。総理の見解です。私の質疑では、これを封印していただきたい」と迫った。
政治家は「国民」とか「民意」という言葉をよく使います。大衆(民衆)の意思は画一的で一体的であると(たぶん意図的に)勘違いしていることが多いです。
国会の審議で「国民は・・・と考えている」と声高に主張されるのですが、まぎれもなく国民の一人である私は、「そんなこと、一度も考えたことないけどなぁ」と思うことがよくあります。
政治家は「我々」という言葉もよく使います。自らが大衆の総意を理解している身近な存在のように言います。世襲議員が大衆から遠いと指摘されることも多いですが、与野党ともに国会議員には特殊な経歴の方が多いです。ベテランで10年以上も議員を続けている人は、大なり小なり浮世離れしてしまっていて、大衆を代表する「普通の人」ではないです。
政治家は選挙に勝つためには票を集めることが必要です。表立っては言えませんが、たくさんの票を集めるには、大衆とは異なる、特別な少数の人にそれほど長くは構っていられません。
岸田首相の言う、さまざまな意見を汲んで、さまざまな議論をすることは一見すると大事なことです。しかし、辻元さんは岸田首相が「さまざま」という言葉で、多様な少数者を一括りにして、事実上の排除をしていると気づいたようです。誠に慧眼というほかありません。ポピュリズムの手練手管では、岸田首相より辻元氏が長けていることは確かです。
話は変わりますが、次官候補の筆頭と言われていた首相秘書官が、同性婚に関連して「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」とオフレコの場で口にしました。辻元さんの、皇室について「生理的に嫌だ。ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」と、言い回しは少し似ています。