アタックがトップを破って磁気記録材が進歩した?

働いていた工場では酸化鉄を製造する副産物として芒硝(硫酸ナトリウム)ができました。

 

ざっくり言うと、硫酸鉄水溶液と苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を反応させると、水酸化鉄と芒硝(硫酸ナトリウム)ができます。水酸化鉄を酸化すると酸化鉄粉末と水になります。芒硝は不要なので棄てることになりますが、棄てるにも費用がかかるので、回収して販売することにしました。

 

トップとアタック
トップとアタック

製造ラインに芒硝回収設備を設置して、配管で引っ張り大きなタンクに芒硝液を回収します。近くにあった芒硝粉末を製造する工場にタンクローリーで搬出するわけです。

 

この設備をつくり、運転や品質を安定させるのには大層な苦労がありました。何しろ副産物なので、製造オペレーターの関心が低くなります。製品の品質は重要ですが、副産物のほうは成り行き任せです。安い値段でしか売れないじゃないか!と馬鹿にしますが、廃棄費用まで含めると重要な仕事です。

 

その当時、芒硝の主要な用途が洗濯用粉末洗剤の安定化剤(ミセル増強剤)でした。

【石鹸百科より】

ミセル増強剤

硫酸ナトリウム(無水ボウ硝)は中性で、それ自身は洗浄力を持っていませんが、LASなどの界面活性剤のcmc(臨界ミセル濃度)を引き下げるはたらきがあり、結果として洗浄力の増強に寄与します。硫酸ナトリウムはLASなどの製造段階での副生成物で、増量剤とか工程剤と呼ばれることもありますが、このようなミセル増強作用の他、粉末洗剤をサラサラした状態に保つはたらきも持っており、単なる増量剤ではなく、ビルダーとしてのはたらきを持った物質です。

 

棄てるものがお金に代わるので、芒硝回収は大儲けのはずだったのですが、長続きしませんでした。ちょうど、「トップ」から「アタック」への過渡期に当たってしまったのです。

当時の洗剤の一番人気はライオンの「トップ」です。赤い箱の”酵素パワーのトップ"です。今の若い方には信じられないでしょうが、1箱が4.1㎏もありました。芒硝もたっぷり入っていたわけです。

 

ライオンの後塵を拝していた花王が、1987年に満を持して発売したのが世界初のコンパクト洗剤「アタック」です。汚れを分解する酵素を、それまでのプロテアーゼから花王が独自開発したセルラーゼに変えることで容量も重さも1/4にした(実際は1987年は1.5㎏、その後1.2㎏に軽量化)画期的な商品です。衣類洗浄のメカニズムそのものを革新しました。

 

「アタック」は人々、とりわけ主婦の生活を劇的に楽にしました。それまでは、赤ちゃんを背中におぶったお母さんが、片手に野菜を入れた買い物かご、片手に4.1㎏の洗剤を抱えて商店街を歩いていたわけです。

 

コンパクト洗剤が「アタック」だけならよかったのですが、はやくも翌1988年にライオンが「ハイトップ」を発売して追いかけます。各メーカーが続々とコンパクト洗剤を発売することになりました。

 

ということで、あえなく芒硝回収設備は休業することになりました。しかし、悪いことばかりではありません。回収してお金になると思えば力も入らなかったかも知れませんが、芒硝の処理に費用がかかるようになったことが、酸化鉄の製法転換を少し後押ししました。副産物としての芒硝があまり発生しない製法です。この新製法は、コストを下げるだけでなく、酸化鉄の品質にも劇的な向上ももたらしました。変化はチャンスなんです。

 

この新製法でもっとも大きな品質改善になったのは磁気記録用の酸化鉄でした。実は当時の花王は情報分野も手掛けていて、データストレージ用メタルテープやフロッピーディスクの製造をおこなっていました。工場でつくった酸化鉄は花王にも納められていたのです。花王の方も「アタック」の開発が、巡り巡って磁気記録材の高性能化にちょっと貢献したとは思わないでしょう。

 

それにしても、「アタック」は35年を経ても洗濯洗剤のトップブランドですが、メタルテープもフロッピーディスクも今は見ることはありません。ここから、何を学ぶのかですね。