昨日の続きで、高杉晋作の有名過ぎるくらい有名な歌です。
「おもしろき ことのなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」 上の句を高杉晋作がつくり、下の句を野村望東尼がつけたという説もありましたが、どうも全体で高杉晋作の作品のようです。どんなにおもしろくないように思える世の中でも、心持ち次第でおもしろくなる、といった意味でしょうか。
この歌を高杉晋作の辞世とするのも、間違いのようです。どうも亡くなるよりは数年前、23~24歳頃の作品だそうです。
そう考えると、若いくせに何だか悟っちゃって!?なんて微笑ましい感じもします。しかし、この頃の晋作は家庭問題で大変だったのです。
晋作は数えで22歳のときに、山口町奉行を務める上士の井上家(高杉家も上士だが知行200石で井上家は500石)の次女、雅(まさ)と結婚します。当時16歳の雅は、萩城下で評判の美貌であったそうです。
晋作と雅の間には、長男・梅之進が生まれます。梅之進は、後に高杉東一と改名して『英和新国民大辞典』を編纂したうえ、外交官として活躍します。
家柄の良い若くて美人の妻と、英邁な息子を持ちながら、晋作は下関の遊郭で働く芸妓・おうのを愛人とします。正妻の雅と愛人のおうのの関係が良いはずもありません。晋作は雅に武士の妻なのだから辛抱しろとか偉そうに言うものですから、雅は益々怒ります。
結局のところ、晋作はほとんど家に帰らず(つまり息子にも会わない)ままです。まさに、「おもしろき ことのなき世を おもしろく」ですが、自業自得のような気がします。
【雅とおうのは仲が良かったという説もあります。・・ホントかな?】