中国自動車道は中国山地を縦断して、大阪から下関までを直結しています。
中国自動車道は、ちょうど私たちが社会人になった1983年に全線開通しています。山陽自動車道の全線開通は14年後の1997年ですから、この間の14年間は中国道を何かと使う機会が多かったです。しかし、山陽道の開通以降はめっきり走る距離が減ってしまいました。
久しぶりに中国道(広島県~山口県)を通りましたが、各地でリニューアル工事中です。このあたりでも完成から40年以上経過していて、大規模な改修が必要になっています。
大阪府~兵庫県あたりは50年で、当分の間は断続的に通行止めになる本格的な工事をやっているようです。
ところで、中国道全通の当時(1980年代初めから中頃)、沿線地域は工場進出が続いて、かなりの活況でした。私は広島県の海沿いの出身ですが、同級生で県北エリアに働きに行ったものがかなりおりました。
この頃(昭和の終わり頃)は、いまの庄原市・三次市・安芸高田市あたりは人口の社会増が結構あったのではないかと思います。関西圏まで2~3時間という立地となり、自動車部品や繊維縫製、食品製造などの工場が進出してきていました。
当時、中国地方は山陽と山陰は分断されているという印象をもっていましたが、その間にある中山間地が発展することで南北がつながる。変な言い方ですが、縦貫道が南北の分断を解くような気がしており、横断道の建設を急いで欲しいと思っていました。
今は、広島浜田・尾道松江・岡山米子・姫路鳥取と4本の中国横断道ができて、山陽と山陰の時間距離は確かに短くなりました。一方で、中国道(縦貫道)エリアの発展は頭打ちになっているようにも感じます(個人の感想です)。山陽と山陰の連携と中国地方全体の発展には、意外とならなかったのかも知れません。
道路網の整備と沿線地域の発展の相関関係を予め知るのは難しいことのように感じます。(うまくまとめられませんでした。あまり深い考察ではないので、悪しからずです。)