方丈記を読んで防災について考える

少し前ですが新聞で、鴨長明の「方丈記」について書いてあるのをみました。

 

内容はよく覚えていないのですが、毎年夏の終わり頃になると「方丈記」は取り上げられることが多いようです。鎌倉時代、末法の世に発生した大災害(大火・台風・地震・飢饉など)について書かれていることから、当時の受け止め方を参考にしようというわけです。9月1日の防災の日や、9月の防災月間に掛けて紹介されたり、引用されたりします。

 

下鴨神社のwebサイトより 方丈の庵・鴨長明
下鴨神社のwebサイトより 方丈の庵・鴨長明

「方丈記」の方丈は、鴨長明が晩年に住んでいた方丈の庵に由来しています。長明の方丈の庵は組み立て式で移動可能となっていて、建築現場のスーパーハウスのようなものです。一辺が1丈(10尺:約3m)の正方形の建物です。面積は9㎡で、四畳半くらいになります。

  

方丈記は青空文庫に収蔵されています。いつも感謝です。

 

さて、方丈記は冒頭が最も有名です。

 

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶうたかた(水泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみか(住処)と、またかくの如し。

 

大地震について書いてあるところを読んでみましょう。

方丈記にある大地震は1185年(元暦2年)7月に発生したのですが、震災のために8月に文治と改元されたので「文治地震」と呼ばれることが多いです。壇ノ浦の戦いで、安徳天皇が入水し平家が滅亡してから4ヵ月後の発災です。琵琶湖西岸にある断層が動いて、京都に震度6クラスの地震が発生したようです。

 

また元暦二年のころ、おほなゐ(大地震)ふること侍りき。

そのさまよのつねならず。山くづれて(崩れて)川を埋み、海かたぶきて(傾いて)陸をひたせり(浸せり)。

土さけて水わきあがり、いはほわれて(岩が割れて)谷にまろび入り、なぎさ(渚)こぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。

いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。

或はくづれ、或はたふれた(倒れた)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。

 

地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづち(雷)にことならず。

家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。

はしり出づればまた地われさく。

羽なければ空へもあがるべからず。

龍ならねば雲にのぼらむこと難し。

おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。

 

恐怖がよく伝わります。京都は日本列島の中では、比較的地震の少ない土地柄だと思います。あまり地震の経験がなかった京都の人たちが、千年に一度の大地震に見舞われて、右往左往している様子がよくわかります。

この地震からでも840年近くになろうとしています。油断できません。