江戸300藩といいますが、幕末の時点で実子相続でつながっていたのは1藩だけです。
その1藩というのは、大和郡山藩の柳沢家です。徳川綱吉に寵愛された側用人の柳沢吉保は、甲斐を拝領して甲府藩主となりました。その後、吉保の子・吉里が2代目藩主となりますが、享保の改革で甲府が幕府直轄地となったので、大和郡山に移されました。吉里から幕末の保申まで6代の大和郡山藩主は実子相続です。
つまり、江戸時代の260年を実子相続でつなぐことができた藩というのは皆無です。それほど、困難ということです。
江戸時代ですと、子どもが生まれても成人になるまで健やかであるとは限らないという問題があります。しかし、一方では実子は正妻の子を意味しないので、大名にはたくさんの実子がいることが多いわけです。
現代では、子どもが亡くなるのは稀ですが、子どもの数は少ないわけです。まぁ、どっこいどっこいです。
また、どちらにしても、実子が跡を任せるに足るだけの能力を持っているとは限らないので、どこかから跡継ぎを探してくることになります。
第三者承継というわけですが、これがなかなか難しいのです。実子であれば、実態は無くても何となく、信用があり、信頼をされるところがあります。第三者の場合は、信用や信頼を改めてつくっていくことが必要になります。
そこで、事業承継計画をつくって後継者育成をするわけですが、ここで大きな問題があります。それは、現経営者が後継者育成に熱が入らないのです。実子であれば、良し悪しは別にして、熱い思いで後継者として鍛えるわけですが、赤の他人であれば身が入りません。
経営者の方は、「決してそんなことはない。しっかり引き継いでいる!」と言うのですが、なかなかそうはいきません。
また、第三者承継の場合は特にですが、事業承継は会社の改革を実行する絶好の機会です。事業承継は創業ではないので、改革はこれまでの経営者と、これからの経営者が一致協力してこそ成り立ちます。また、そうでなければならないのです。
このためには、周りにいる人たち(場合によっては支援機関など)が、新旧の経営者に寄り添って伴走することが望ましいにですが、なかなか難しい課題です。