種田山頭火と並んで有名な自由律俳句の巨人が尾崎放哉(ほうさい)です。
山頭火は明治15年(1882年)生まれで、放哉は3年後の明治18年生まれです。尾崎放哉の紹介は、放哉が亡くなった小豆島の尾崎放哉記念館のwebサイトを参照してください。放哉は、東大出のエリートで、豪華な生活をしていたのですが、ある日突然すべてを捨てて俳句三昧の生活をはじめます。
個人的なイメージとして、山頭火は「山」「雲」、放哉は「海」「空」。そして、山頭火は「酒」で、放哉は「本」って思っていました。改めて、webサイトをみてみると、放哉の句に「海」や「空」が頻繁に登場するわけでもないですね?
放哉の「海」イメージですが、終焉の地が小豆島土庄であることが大きな要因です。また、本格的に創作に取り組んだのが、神戸須磨であり、福井小浜を経て、小豆島へと移り住んでいます。神戸須磨・福井小浜・小豆島土庄の、それぞれに特徴的な3つの海が、放哉に影響を与えたのは確かでしょう。
ひねもす曇り波音の力かな
大空のました帽子かぶらず
潮満ち切ってなくはひぐらし
浪音淋しく三味や免させて居る
障子あけて置く海も暮れ来る
海が少し見へる小さい窓一つもつ
入れ物が無い両手で受ける ≪これ、好きです≫