三斎市がやってくる!人口8000万人の日本

広島県の廿日市市に6年余り住んでいました。隣は広島市の五日市です。

 

平安時代後期から、各地で定期市が開かれるようになりました。月に3日開かれることが多いので、三斎市と言われます。二日市、三日市、四日市、五日市・・・・十日市は、月に3回開かれた名残です。廿日市(はつかいち)は、毎月20日に1回だけ開かれていたわけで、ところによっては、市が開かれる回数や商品の内容も違っていたようです。

 

三斎市
三斎市

日本の人口は減少を始めていました。コロナ騒動で出生率の低下トレンドが強まり、死亡率の上昇(こちらは一時的と思われる)があったことから、人口減少は加速していくことは間違いなさそうです。

 

現在、1億2500万人を超えている日本の人口は2050年頃に1億人を下回り、2060年代には8000万人にまで減りそうです。

人口減少は地方でより進み、現在132万人の山口県では、2050年には100万人を割り込むようです。

 

人口減少への対応として、コンパクトシティ構想といった中心市街地に人を集める政策が進められています。歩いて行ける範囲を生活圏と捉えて、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとする発想です。

しかし、この構想の問題は地方にミニ東京(マイクロ東京)をつくることで、地方のなかの地方に誰もいなくなることです。既に、里山や里海は守れず、荒れ放題になり、獣害によって農業が続けられなくなるようなことは起こっています。

 

 

個人的な見解ですが、人は過疎に住む方が良いように思っています。コロナ騒動でテレワークも定着しましたし、ソロキャンプのムーブメントも起こっています。ショッピングモールを中心としたコンパクトシティに人を集めるのではなく、人がまばらに住んでいるところに三斎市がやって来るという構想が求められているように思います。

 

三斎市が開かれていた平安時代後期の日本の人口は約700万人で、山口県(防長2国)は10万人に満たなかったようです。人口8000万人となった日本の地方は、三歳市で豊かに発展するように思います。