今日は「時の記念日」です。天智天皇が671年6月10日に日本で初めて時計(水時計)によって、時刻を伝えたという故事に由来します。
この由来だけを聞くと、日本人の「時間をきっちり守る」という性質は、古く飛鳥の時代から続く美徳のように感じます。しかし、時の記念日が制定されたのは、1920年(大正9年)のことで、制定の背景には国を挙げての生活改善運動がありました。現在の日本人の美徳の多くが、大正時代に政策的につくられたものなのか?
明治維新から50年が経ったところです。20世紀初めの日本の生活(特に都市の生活)は、まだまだ近代化が遅れていたようです。そこで、1920年に内務省と文部省が生活改善同盟会(文部省の外郭団体)を設立して、国民の生活改善を目指すことにしました。
生活改善には4つのテーマがありました。
その1番目が「生活を規則正しくして時間の活用に力むること」です。今となっては信じられませんが、当時の日本人は、欧米人から時間の感覚に乏しいと見られていたそうです。時の記念日は、日本人に時間を守ることを促すために制定されたというわけです。
生活改善の残り3つのテーマです。
2つ目は「生活は簡易を旨とし、人手を借らぬやうにすること」です。これも意外なことですが、当時の都市の中流階級以上の世帯では女中などの使用人を抱えており、主婦が家事をすることがなかったようです。国に労働力が必要な時代ですから、家庭のことは家庭でやってね、ということです。
3つ目は、「生活は合理的にし、迷信に囚はれぬ様にすること」です。当時は、吉日だ凶日だとか、方位がどうだとか、いろいろな迷信や占いが日本人の生活を支配していたようです。
4つ目は、「一切の無駄冗費を省き、生活の安定を期すること」です。無駄を嫌って、節約をする”もったいない精神”は日本人の本質的な美徳かと思っていたのですが、必ずしもそうではなかったようです。大正のこの頃から、寿命も延びてきて、日本人も老後生活の安定について考えなければならなくなってきたわけです。
振り返ってみれば、大正時代の生活改善運動は十分な成果を上げています。現在の日本人の美徳「時間を守る」「自分のことは自分で」「迷信にとらわれない」「もったいない」は、100年前の運動がきっかけになったようです。
ちなみに、生活改善同盟会の会長は公爵・伊藤博邦です。伊藤博邦は、井上薫の兄・井上光遠の子ですが、伊藤博文の養子です。伊藤博文には6人の実子(男子2人・女子4人)があるのですが、妻との子は女子2人だけなので、養子の博邦が伊藤家を継ぎました。100年前は、こういう時代だったのです。