昨日の憲法記念日の集会で、立憲民主党の奥野総一郎・衆院憲法審査会野党筆頭幹事の発言が物議を醸しています。
「ロシアより許せないのは今の与党だ。どさくさ紛れにウクライナ問題をダシにして改憲に突き進もうという姿勢を許すわけにいかない。どさくさ紛れに改憲を試みよう、国民をだまそうとしている。」と発言しました。う~ん、立憲民主党は立憲主義を掲げる政党と思うのですが、何だかヘンテコリンです。
立憲民主党の言うところの立憲主義とは何なんだろう?webサイトに「憲法記念日にあたって_立憲民主党 代表 泉健太」という談話が掲載されています。
立憲民主党は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を掲げる日本国憲法を、次代に繋いでいく。
ウクライナ侵略による危機の時こそ、中央集権的な政治体制を求めるのではなく、国民の「自由」「権利」を守らねばならない。
立憲民主党は憲法審査会で、立憲主義を確立すべく、議論に参画している。しかし、国民投票法改正の議論を優先すべきで、この整備無くして、憲法改正の発議を行うことは認められない。立憲民主党は、日本国憲法を大切に活用し、「論憲」をおこなっていく。
何だか、要するに憲法の内容については考える気が無いってこと?なんでしょうか。「論憲」という耳慣れない言葉ですが、立憲民主党のwebサイトに説明がありました。
「論憲」とは次の3つを言うそうです。
(1)立憲主義とは「少数の権利を守るための憲法が権力を縛る」こと
(2)立憲主義に基づく憲法議論とは、「主権者たる国民の側から権力者をより縛るべきという声を受けて、発議の議論をすべき」こと
(3)憲法改正国民投票は国民の大多数が賛成の時に初めて国会で発議されるもの
う~ん、梃子でも憲法改正はしない!と言っているようにしか読めませんね。
そもそも、今の日本国憲法は、当時の権力者(君主)である天皇を縛る(象徴天皇制)という意味では立憲主義に則った憲法であると言えると思います。それまでの、明治憲法は立憲君主主義(議会制・権力分立・法治主義)の憲法ですね。
しかし、75年前のことで、現在の日本で天皇が権力者であり、国民がより縛るべき権力の対象であるとは思えません。立憲民主党のいう権力者とは一体何を指しているのだろうか?「主権者である国民の側から権力者を・・」とあるので、国民じゃない権力者が存在するというわけです。
しかし、日本国憲法を素直に読めば、権力・権力者とは国民です。主権とは法を超越するものですから、国民主権と言えども国民を憲法で縛ることが立憲主義と言えます。
まぁ、これが正しい理解かなと思います。
そこで、今の日本国憲法が問題なのは、むしろ国民の権力の縛り方にある思います。
75年前には、日本が太平洋戦争に向かったのは愚かな国民が暴走したのだという認識があったと思います。憲法前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」ではじまります。
つまり、立憲民主党のいう権力者とは、国民の代表者ということになりそうです。
なるほど、国民の代表者である立憲民主党の議員の皆さんが、その権力を縛られたくないので、国民の大多数が言い出さない限りは、憲法改正の議論もしたくないってこと?ですか。