部門長を決める場合に、2人の候補がいれば、年齢の若い方を選びたいと思います。
ディーン・キース・サイモントンは、ダ・ヴィンチ、ニュートン、アインシュタイン・・・古今東西の多くの科学者・発明家・作家・芸術家の業績を綿密に調査しました。この結果、人生で最大の成果は人生の前半戦・39歳より前の研究や活動から得られていたそうです。天才の成功は若さのなかからこそ得られるのです。
将棋の藤井聡太五冠はまだ19歳です。
小学校6年生(12歳)のときに、プロ棋士も参加する詰将棋選手権でにチャンピオンとなり度肝を抜きました。
14歳2か月で四段プロデビューした藤井聡太少年は、初戦で62歳6ヵ月の年の差がある加藤一二三九段を倒して、初勝利を上げます。
その後5年半で、317戦265勝52敗(勝率0.836)で、タイトル獲得7期という圧倒的な成績を上げた藤井少年は、今や五冠を保持して将棋界の頂点に君臨しています。
一方で、同じく早熟の天才といわれ、タイトル獲得通算99期の羽生善治九段は、51歳となりました。昨年度は14勝24敗と、プロ棋士となって37年目で初めての負け越しとなりました。
やはり、天才は若さのなかにのみ宿るということなのでしょうか?
羽生善治九段の名言に「才能とは継続できる情熱である」とあります。この才能を天才と置き換えても同じなのかな?と思います。
恐らくなんですが、19歳の藤井五冠のほうがより大きな情熱をより長く継続することができるのだろうと思うのです。それは、19歳のときの羽生と51歳の羽生を比べても、そうなんだろうと思います。ここには、年齢という要素がありそうです。
しかし、これは将棋という持ち時間の制限がある競技だからかも知れません。もし、時間無制限で藤井と羽生が戦ったらどうなるのか?は興味があります。
一定の時間内で考えることのできる量は年齢とともに減ってくるように思いますが、その制限を外せば、違った結果にならないでしょうか?
生産性は年齢と共に衰えていくが、創造性は年齢とともには減ってはいかない。という仮説です。羽生九段のような天才ではない私なぞは、むしろ、年をとったら残りの時間が少ないのだから、早く仕事をこなそうと生産性を上げることに腐心してしまうような気がします。
年を重ねても、以前のように、あ~でもない、こ~じゃないか、と行ったり来たりして考えていると、意外と若者たちに負けない創造力が発揮できるかも知れません。