今日は今上天皇陛下の誕生日で国民の休日です。
天皇誕生日が初めて国民の休日になったのは1965年(慶応元年)のことです。ときの天皇は、明治天皇の父である孝明天皇で、誕生日は6月14日でした。このときは、江戸幕府の将軍である徳川家茂の誕生日5月25日と、初代将軍徳川家康の忌日4月17日も休日となりました。
古来より、日本においては、天皇の誕生日を国民がこぞって祝うという風習はなかったそうです。
天皇の誕生日祝いは、ごく内輪のこととして宮中でにおこなわれていました。有力な公家などが呼ばれることもあったようですが、基本は天皇が神様に祈祷をささげる儀式でした。
誕生日が内輪なのは、徳川将軍家も同じです。ときの将軍は、江戸城中で歳神さまに祈祷をしたうえで、重臣たちに餅などを配って祝ったようです。
つまり、一般の庶民は天皇誕生日も将軍誕生日も知ることはありませんでした。
庶民の場合は、そもそも誕生日という概念があまり強くはなかったようです。日本では正月に年をとるという「数え年」が定着していたことが理由です。
昔は、子どもの数も多かったわけで、生活にゆとりが乏しい庶民であれば、いちいちたくさんいる子の誕生日を覚えて祝うのは難しいことだったと思います。
最初に戻って、孝明天皇の誕生日ですが、実は当時の長崎税関が勝手に決めたものです。
海外貿易の拠点となっていた長崎税関では、外国の風習に合せて休日(祝日)を設定しようと思いました。その際には、個人に由来がある休日の方が外国の人にわかりやすいということで、天皇と将軍、それに家康公が選ばれたというわけです。
孝明天皇は1867年1月に亡くなりましたので、天皇誕生日は2回です。この後を明治天皇が継承するわけですが、明治政府は明治天皇の誕生日9月22日を古来からの呼び名である「天長節」として国民の休日としました。
天皇誕生日を休日にするのは、国民をまとめるという意味と同時に、各国公使を宮中に招き歓待することで、諸外国との協調に役立てることが目的でした。