スキージャンプ第一回日本選手権記録は16.1m

北京オリンピックをテレビ観戦しています。ジャンプ競技は不思議な競技です。

 

全体として冬のオリンピック競技には、何でこんなことしているのか?と思わせるものが数多くあります。なかでもジャンプ競技は不思議です。まるで崖を転がり落ちるような急傾斜をスキーで滑って、飛び出して100m以上も先に降りるわけです。しかもそのときには、両脚を前後にずらしたテレマーク姿勢というちょっとお茶目な恰好をしなければ減点されます。

 

小林陵侑選手
小林陵侑選手

ちょっと調べてみましたら、スキージャンプの最初は単純なことでした。

人はスキーをするときに、雪のコブとかを飛び越えると、結構気分がいいんだそうです。それで、最初は雪を固めたコブのようなものを作って、遠くまで飛ぶ競争をしていたんだそうです。

その頃は、私は4m飛んだ、俺様は5mだと、自慢していたわけです。

 

そのうちに、もっと遠くへ飛びたいという気持ちになって、ジャンプ台を作って飛ぶようになったそうです。

 

いろんなところで、いろんな人がスキージャンプをしていたようですが、ノルウェーの人たちが最も盛んに楽しんでいました。ノルウェーのテレマーク地方で競技として確立されて、着地のテレマーク姿勢も開発されました。

1879年(明治12年)にノルウェー最初の全国ジャンプ大会が開催されました。飛行距離約23mという当時としてはとてつもない記録が出ました。

その後、ノルウェー記録(事実上の世界記録)は更新され続けて、1908年(明治41年)には46mまで伸びました。その頃に、日本にジャンプ競技が伝わったわけです。

 

日本での第1回目の全国大会は1923年(大正12年)に開催されており、優勝記録は小樽高商の讃岐梅二選手の16.1mでした。このジャンプ台はアプローチが23m、ランディングバーンが25mという規模だったそうです。

 

この翌年の1924年に第一回冬季オリンピックがシャモニー-モンブランで開催され、ジャンプ競技も開催されました。金メダルはノルウェーのタムス選手でしたが、最長不倒は銅メダルのアメリカ・ハウゲン選手の50mでした。

日本は早くも1928年の第二回サンモリッツ大会に伴素彦選手が出場して、1回目で転倒、2回目は39mの記録は残念ながら最下位(38位)でした。優勝はノルウェーのアンデシュン選手で最長不倒64mも記録しました。

 

その後は、どんどんジャンプ台が大きくなって、スキーフライングでは250mを超えるようなジャンプもおこなわれるようになりました。もう、気分が良いから飛んでみた!というわけにはいきませんね。