成長の限界、共有地の悲劇

昨日の続き。「共有地の悲劇」という考え方。

 

誰でも自由に使える牧草地があります。一人の牧夫が牛を飼います。それをみた他の牧夫も牛を飼います。牧夫はどんどん増えます。一頭の牛から得られる利益が牛一頭分で変わらないのであれば、それぞれの牧夫は飼う牛の数を増やしていきます。牛が増えれば牧草地は痩せていきますし廃棄物も増えます。その不利益は全ての牧夫で分担するのですから、自分の利益を増やすために牧夫は1頭でも多くの牛を飼うことを目指します。

 

共有地の悲劇
共有地の悲劇

多くの牧夫が牛をたくさん飼うという、その牧夫にとって合理的な判断をしたとします。牧草地の草は食べつくされて、全ての牧夫は牛を飼うことができなくなります。牧草地全体が破滅です。牛はみんな餓死します。

 

この牧夫たちをどう思うか?という質問を投げかけると、大抵の人は、この牧夫たちは愚か者であると答えます。

 

それじゃ、この問題を解決するのはどうしたらいいか?と尋ねると、牧草地の大きさを測って、飼えるだけの牛を飼うようにみんなで協議するとよい。誰か、管理者を決めて、牧夫毎のバランスをとって、平等に利益が出るようにする。などと、よい考えが出てきます。

 

しかし、牧草地を地球、牧夫を国、牛を国民(人)に置き換えてみてください。最後には、全ての人が餓死するのです。まぁ、これも環境問題の本質です。

 

どうやら、地球に住むことのできる人の数は、人口は79億人よりも小さいようです。それでは、どうすればいいのか? 良い考えを持っている人は少ないと思います。

 

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