冷や水というは、江戸時代に流行した冷たい水に砂糖と白玉を入れたものです。行商人が売り歩き、一杯が4~8文(今の感覚では120~240円)でした。
街で若い衆に流行しているものですから、気取って冷や水を求める年寄りもいたわけです。もちろん、年寄りにはそんな甘たるいものは好みではありません。しかも冷たい水といっても湧水などは稀で、ただの川の水に氷を浮かべたものですから、感染症のリスクもずっと高いのですから、抵抗力が落ちている年寄りは湯冷ましを飲んでいる方が幸せです。
人間は、20歳の頃には60兆個の細胞があります。その細胞のうち1日に約0.5%に当たる3000億個の細胞が死にます。それを補完するために毎日ほぼ同数の細胞が生まれます(細胞分裂です)。
ところが、細胞分裂の回数には限界(ヘイフリック限界)があるので、年をとると細胞の数が減っていきます。
顔に皴ができ、皮膚につやがなくなり、髪の毛が抜け、骨密度が下がり、酒が弱くなり、おしっこが近くなるので、細胞の数が減っていることは、年をとれば直接的に実感できます。精巣や卵巣の細胞が減っていくことなどは、実感とは言えませんがわかります。要するに、老化とは細胞の減少ということです。
細胞の数はこのように自然に減るだけでなく、外的要因でも起きます。例えば、火傷をすると皮膚の細胞が失われます。紫外線などの放射線や薬物や化学物質、細胞を溶解するウイルス感染でも細胞が減ります。
いずれにしても、年をとったら、若い時より細胞の数は減っています。免疫細胞も減っていくので、感染症への抵抗力も弱くなります。だから、年寄りは湯冷ましを飲むのがいいんです。
細胞の数がある閾値を越えて減ってしまうと、個体としての人間も死んでしまいます。理論的にはその年数が120年、つまり人間の最大寿命が120歳といわれます。
人間がこの120年という年数をどんどん伸ばしていって、最後には不死の生命を獲得することは今のところはできません。
人間が生存するには、自らを構成している要素である細胞を毎日3000億個も死なせていき、代わりにほぼ同数の新しい細胞をつくることが必要です。死んでいく細胞には、死んでいくだけの意味があるのです。
同じように、人類(ホモサピエンス)という種が存続するためには、人間という種の要素が死んでいき、代わりにほぼ同数が生まれていく必要がありそうです。つまり、死ぬことは生きることであり、生まれることです。
そう考えれば、地球に住む人類という種の持続可能性が最も高くなる人間の数がちょっと気になります。まぁ、妄想はしますが具体的な計算はやめときます。実際にその世界を見るだけの時間はありませんから。