新型コロナ感染症に関する悪質なデマが蔓延しています。日本はウイルスでのパンデミック以上に、デマのパンデミックに襲われています。本来であれば、亡くなる必要がない尊い人命がデマによって失われています。デマとは権威がある人や機関が流すものです。デマに感染しないためには、力を持たない大衆が自分自身で考えることが大事です。
大日本百科事典から「デマ」の記述を抜粋しちゃいます。
「デマ」は、デマゴギーdemagogyの略。本来は政治指導の好ましからざる形態を表す。
A・P・シンドラーによるデマゴギーの定義は、以下である。
(1)支配者の利己的、打算的な動機によるもの。
(2)論点の極度の単純化と非合理的なアピールを伴うもの。
(3)支配者が建設的な行動プログラムを提起せず、自らへの情緒的一体化の高揚をてこにして、民衆の共鳴と支持を得ることに腐心するもの。
デマゴギーの政治手法は昔から支配者の常用手段であった。この政治手法は、マスコミの高度な発達とともに、ますます巧妙かつ隠微な性格を帯びてきている。
社会的、政治的な危機状況はデマの発生と伝播の格好な温床である。民衆の不安、恐怖、偏見、敵意などは拡大再生産される。そして、民衆は支配者から与えれた暗示を受け入れ、それに基づいた行動をとるようになる。
支配者はデマの操作によって権力の掌握や維持を策動するだけでなく、民衆の間で自然発生的に生まれ、ひそかに伝播される反権力的志向の流言に、「デマ」のレッテルを貼って、「事実無根の流説」とか「秩序紊乱(びんらん)の悪質デマ」といった印象を植え付けることで禁圧し、葬り去ろうと画策する。こうして、デマと流言との概念的混乱が生じる。
民衆のなかで自然発生的に生まれ、口コミで伝播する「下からのデマ」は、しばしば真実の核心を内蔵し、政治権力の弾圧や抑圧への消極的抵抗として発生することが少なくない。
したがって、支配者が自己の政治的目的のために、意図的かつ組織的に計略し、流布する「上からのデマ」(官製デマ)と、「下からのデマ」(流言飛語)とは本来、概念的に区別されなければならない。
しかし、支配者が内密に民衆のなかに虚偽情報を植え付け、あたかも自然発生的な流言であるかのように仕組んで、民衆の抑圧や操作への口実を意図的につくったりすることもある。
いずれにせよ、官製デマがはびこる社会はけっして健康ではない。表現の自由に裏打ちされた多様な情報の自由な流通と競合のメカニズムが、デマの氾濫と跳梁にとってかわるときに、民主主義政治は活力に満ちた前進的な発展を遂げるのである。