主に40歳代前半の方を対象にしたリーダーシップ研修の手伝いをしたときのこと。「あなたにとって理想のリーダーを1人あげてください」という質問に「西郷隆盛」の名をあげた人が2人いました。
実は少々意外です。西郷隆盛はむろんのこと薩摩・鹿児島では絶大な人気があります。しかし、ここは長州・山口です。維新のリーダーであれば、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、大村益次郎、伊藤博文・・・目白押しでしょう。ただ、ちょっと数が多すぎますかね?その点で、薩摩で一点買いの西郷が、1人だけ選ぶなら優勢なのかもしれません。
鹿児島では西郷隆盛一人が人気を集めて、大久保利通(明治新政府の最初のリーダー)や川路利良(日本の警察をつくった初代警視総監)などは人気がないというか、むしろ嫌われているそうです。
その川路利良が西郷隆盛のことを「まるで桜島のようなんだ」と言っています。
桜島は普段はどっしりと、ただおだやかにそこにあるだけです。しかし、ときに荒々しく噴火をして、周囲を驚かすこともあります。もくもくと上がる噴煙は情熱の象徴です。一方で、太陽のかげんによっては美しく彩られて息をのむ様な美しい姿も見せます。まさに西郷は桜島のようです。
西郷隆盛の実像はよくわかりませんが、絵画や銅像になった風貌は魁偉で独特です。
西郷は、私利私欲を捨てて、人のため国のために命を賭けて働きました。人の好き嫌いをせず、誰とも等しく話をし、約束を守り決して裏切らず、辛抱強く人を育てます。自らは一切の贅沢はしません。しかし、思いもよらない素晴らしい筆で、生き生きと優れた詩(漢詩)を書きます。
西郷が望んだのは、身分や階級がなく、貧富の差も小さい平等な社会でした。そのためには、武力による革命が必要だと考えていました。実際は、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜があっさり大政奉還してしまったので、少々調子が違ったところもあります。
こんなことを書くのもどうかですが、西郷の失敗は人気(人望)がありすぎたことです。もともと頼られると嫌と言えないところに、3万人を超える旧士族が西郷一人を頼って集まってきました。西郷が、その情熱を内に秘めたまま普段の桜島のように、もう数年どっしりと構えられたら、日本の歴史は変わっていたでしょうね。
西郷隆盛は、西南の役に敗れ、1877年(明治10年)9月24日に鹿児島城山で自刃しました。享年49歳でした。というわけで、今日は南洲忌です。