新型コロナを「戦争」と呼び、臨時療養施設を「野戦病院」と名づけるセンス。
メタファーは、隠喩(あるいは暗喩)で、比喩の一種ですが、比喩であると明示しないで使うものをいいます。「お日さまのように暖かい女性」は比喩ですが、「君は僕の太陽だ」はメタファー(但し、とてもわかりやすい)です。
「戦争」
1.軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。
2.激しい争いや競争。「受験戦争」「交通戦争」
辞書を読む限り、新型コロナと誰も「戦争」なんかしていませんし、できるはずもありません。コロナウイルスは敵ではありませんし、争って勝つ相手でもありません。
そこで、昨年の6月頃からいくつかのサイトでは、新コロを「戦争」などに喩えることをとがめています。
☞ ウィズコロナ時代のわれわれの「こころ」:社会を疲弊させる「隠喩」とは(Yahoo! 2020/06/15)
☞ 新型コロナを「戦争」の隠喩で語るのはやめよう(論座 2020/06/19)
しかし、蜜の味を知ってしまった煽り屋たちの暴走はなかなか止まりません。
☞ 大阪 吉村知事「1000床単位の野戦病院を作りたい」阪大に相談(NHK 2021/08/28)
煽り屋たちは、何故「戦争」(「野戦病院」)というメタファーを使いたがるのでしょう。
戦争」には、敵と味方が互いに恨みを持って対峙して武力で殺し合いをするというイメージが先ずあるでしょう。さらに、日本人が固有に持っている戦争には、原爆や焼夷弾で焼け野原になった敗戦の印象が強いわけです。
そして、戦争に勝つためには味方にも犠牲が必要です。武力での殺し合いですから、味方1人の犠牲で敵を2人殺せば戦争は勝利です。犠牲を伴わない戦争をイメージできる人はいないでしょう。
さらに「戦争」には、プラスのイメージも少しあります。偉い将軍が戦略を立て、実行計画をつくり、ターゲットを撃破しながら、人民を守るといったものです。ことさら「戦争」とか「野戦病院」とか言いたがるどこかの知事さんは、自分を戦いに長けた将軍に置き換えているわけです。
こうして、コロナとの「戦争」というメタファーが繰り返しマスコミで流れ、無自覚に多くの国民が(最後には子供たちまでが)使うようになっています。
そうすると、コロナのように弱い感染症であっても、それに対する戦いがいつのまにか正当化されます。無謀な戦いによって味方が受ける被害が受容されるようになります。ワクチンを打って死んでも、コロナを指定感染症として特別扱いしたために10万床以上余っている一般病床での治療を拒否されて死んでも、全てが名誉の戦死となりかねません。
「戦争」とか「野戦病院」とかのメタファーを誰が、どんな目的で使っているのかを、きちんと理解しておくことは重要です。「鬼畜米英」とセンスは同じです。
こういうプロパガンダで世論を誘導するのは、よいことではありあせん。必ず不幸なことが起こります(歴史が証明しています)。